12月30日:今年最後の山行は堂ちゃん夫妻と伊吹山。伊吹は標高以上に高く、大きく感じる山ですね。スキー場は休業しているので下から標高差1100㍍ほどの登りになります。特に8合目からの急斜面ははきつくなりますが、前回スキーをぬいだ女房もアイゼくんのおかげでそのまま登り切りました。頂上の建物はエビのしっぽでびっしりとおおわれ、白亜の殿堂と化していました。楽しみにしていた滑りの最初はよかったのですが、7合目あたりからモナカ状態。琵琶湖を足下にうまく落ちていく堂ちゃんたち。それを追う私たち夫婦にはきびしい雪質でした。さて、これから練習しなくっちゃ!!
12月27日:W隊長とS店長のプランにのせてもらい、氷ノ山の横行谷へ行ってきました。クリスマス寒波のおかげで積雪はゆうに1㍍をこえていました。横行の村はずれから長い林道歩き、スキーをはいていても向うずねあたりまでしずみます。30分ごとのラッセル・ローテーションで8時間半のぼって千本杉あたりまで達しました。時刻は14時半。ここを潮ときめ、底のとれないふかふかの新雪をすべりおりました。朝暗いうちから夕暮れまでの初滑り山行は充実していて、私には幸先のよいスタートになりました。
12月24日:香寺町須加院の奥の暮坂峠から広峰山へと歩いてきました。峠から氷室山まではけっこう草木が茂っていて、途中2箇所で迷いかけました。須加院からの道を合わせると、その先は難なく、山道らしくなって頂上へ。南下していくにつれて道はさらによくなり、里山らしく左右に枝道をわけながらやがて近畿自然歩道にでます。バブルのころ浮上した「はりま空港」の計画は頓挫し、この山域の自然は守られました。落ち葉の下にうごめく無数の生命をふみながら歩く、私たちはそのやわらかな感触がうれしいのです。
12月20日~21日:長女夫婦の仕事を手伝った空きの時間に、紅葉シーズンを過ぎた京都のポタリングをたのしみました。初日は御所内の砂利道を縦横にくまなく見てまわり、夜に女房と合流してからは先斗町や木屋町、四条界隈の食事散歩。「なんで豆腐ごときが三千円もするんや。」という感覚ですから、結局安い居酒屋のはしごになってしまいました。翌日は、先月に京都に引っ越されたOさんのお宅におじゃまし、素敵なお家をみせていただきました。最後に鴨川沿いの自転車道を走っていると、来春、桜の頃のポタリングへの思いがわいてくるのでした。
12月18日:武田尾駅から西宮名塩駅まで一区間だけJRにのり、廃線になった旧福知山線を歩きました。武庫川沿いのこの道は線路の跡でハイキング道ではありませんが、枕木やトンネル、鉄橋が残り、現実には多くの人がおとずれる人気のコースになっています。トンネルの中は冷たい風が通りぬけ、そこを出ると太陽のあたたかみがうれしく思えました。桜の園の陽だまりで芋煮、8人だったので歩いているより食べてしゃべっている時間の方が長かったようです。最後は武田尾温泉であたたまり、小春日和のたのしい一日になりました。
12月16日:藤ノ木山自然公園を散歩してきました。平日の午後、遊歩道に人影はなく、落ち葉を踏む音だけが道連れでした。藤ノ木山トンネルにさしこんだ西日が長い影をうつしだし、枯葉にまじって雪花も舞いこんできていました。冬のおとずれです。
12月15日:牧野自然公園から畑山への道を歩きました。公園からひと尾根こえて神谷ダムへ。湖畔の道を西に400㍍ほど行くと、かすかな踏み跡がありました。あとは薮こぎ。猪のやつらも通るらしく、ヌタ場からあがった連中がバスタオルがわりに草や木で体をふくので獣道は泥だらけ。そこを行く私のズボンも真っ白け。出合頭がこわくて大声で独り言をいったり、調子はずれの歌を歌っていましたが、それをやめると空から舞い落ちる枯葉が梢にあたる乾いた音、季節のページをめくる音が聞こえます。私はもう大声を出す気にはなれませんでした。
11月26~27日:アウトサイドのテレマーク&忘年会。スキーにするか山を歩くか最後まで迷ったのですが、幅のせまいレーンの人工雪を滑る気になれず、結局、高竜寺ヶ岳の薮をこいできました。午後2時すぎから歩きはじめました。本来なら下山する時刻ですが尉ヶ畑コースで頂上へ。そこから道のない北の尾根をたどり、最後は地図を読んで急な枝尾根から谷へくだりました。特に急いだわけでもないのですが明るいうちにたんたん温泉にはいる余裕。忘年会でなつかしい面々に会うと無性にテレマークがしたくなったのですが、翌日も一人、市野々から長い林道を歩きました。ものを想う季節のようです。
11月23日:天気予報は半日ずれたのでしょうか。日中、雨はふらずなんとかもってくれました。これを幸いに神谷ダムの北側をとりまく尾根を歩いてきました。始点は牧野自然公園で光景寺山、焼山、向山とめぐります。東端の藤ノ木山が一連の山の最高峰で、これを踏んだあと藤ノ木自然公園へとおりました。。帰路はあらかじめ用意しておいた自転車で田園サイクリング。予想外のよい道で女房殿のごきげんもよろしく、畑山の失点をいくぶん取りもどしたようです。
11月21日:昨日登られなかった畑山が今日も呼ぶのでいってきました。太尾青少年キャンプ場は「関係者以外立入禁止」。北の城山から尾根づたいにいけないものかと思い、ヤブ道を歩きました。キャンプ場の奥をかすめる形で畑山の東側の谷をつめて尾根、電波反射板から頂上へとめでたく登ることができました。帰りに神谷からみる畑山が夕陽にそまっていました。少し寒い晩秋の1日、帰ったらおでんをあたためて一杯やることにしよう。
11月20日:立山は悪天候で、初滑りは中止しました。今日もアルペンルートのバスは動いていないようです。家にいても所在ないので午後から姫路の奥の畑山を登りにでかけましたが、登山口をみつけられずに敗退。帰りの腹いせでもないのですが、御国野の浦山に登ってきました。午後3時をまわってからの入山です。浦山の「浦」は「裏」の当て字かも。まさに深志野の村の裏にある山、秋の日足の短いことも知っていますが里山の気安さから「アホは日暮れて山に登る。」を地でいってしまいました。
11月15日:この前から、伊勢山と峰相山の一帯へ出かけるようになりました。夢前川と林田川にはさまれた里山で南北6Km、東西4Kmほどのせまい山域ですが、里山らしくたくさんの道があります。そんな道をたずね歩いて、見晴らしのきく場所でコーヒーでものみながら休むのはとても気持ちのいいものです。今日のように天気のよい日は、家でじっとなどしていられません。
11月8日:天気がよかったので、昼から伊勢山に行ってきました。本当はアップしないでおくつもりでしたが、yo4o3さんから「若い」ってほめられた!のか、ひやかされたのか、調子にのって・・・。歩きたい気分だったので、けっこう歩きました。木もれ日の森から展望台へ登り、そのあといったん谷へおりてから神坐の窟へ。さらに空木城。これは「うとろぎ」と読むんですね。伊勢岩屋の森にくだったのちにふたたび神坐の窟まで登りなおして伊勢山へ。最後は東尾根からかえりました。ウォーカーズハイって言葉あるのですかね?夕暮れがこなかったならもっともっと歩けるような気がしていました。
11月5日:「午前中はもつ」との天気予報に裏切られながらも雨の中、伊勢山に登ってきました。この山はyo4o3さんからのコメントで知ったのですが、いい山でした。里山らしく枝道もいくつかあり興味をそそられますし、神坐の窟がある岩壁からの景観もなかなかです。今日は雨でくもっていてスカッとはしないものの、行き来する雲が深山の趣をかもしだしてくれました。下山後、冷えた身体を「ゆたりん」の温泉であたためてから帰りました。(ゆたりんは今月14日から来月12日まで改修工事のため温泉は休業するそうです。)
11月2日:灘の喧嘩祭で有名な御旅山の道ははっきりとしていて、ふもとの人たちが毎日登っているようです。頂には四阿があり、ここからは淡路島や家島が近くに見え、この夏にカヤックでわたった上島など足下にあるかのようでした。尾根を歩いていて出会った小学生からあいさつをされ、「花子さんっている?」と唐突に聞かれたのには面くらいましたが、あとからおかしみがこみあげてきて、もっと気の利いたこたえをしてやればよかったと思いました。御旅山を歩きおえてから甲山まで足をのばしました。「こうやま」と呼ぶらしく黒田官兵衛ゆかりの城跡と登ってはじめて知りました。
10月30日:前夜から鳩ヶ峰と鍋塚の間にある休憩小屋でキムチ鍋で宴会。空模様があやしかったのでそのまま中に泊まりました。おかげで夜中から降りだした雨にぬれずにすんだのですが、お目当ての雲海には出あえず。
翌朝、雨の中をみっちゃんと女房は鳩ヶ峰をこえて千丈ヶ嶽へ向かい、私は下山先の鬼嶽稲荷神社へ車をまわして、そこから逆行しました。山頂でめでたく合流。今年の紅葉はまだ早いのか色づきがわるいのか見栄えがしません。たくさん来ていたカメラマンもぼやき気味。帰りに鬼の交流博物館に寄ったり、イベントに参加したり、半日のつもりが盛りだくさんの一日となりました。
10月23日:昨日、今日と天気が悪く、高島トレイルは中止しました。少し歩きたくて的形の北にある坂の山から大日山へ出かけてきました。100㍍をこえるかこえないかの高さでも山は山、里山はそれなりにむつかしい。帰路にとったあやしげな道は竹やぶの中の低湿地で消滅。女房殿の不興をかってしまい何しにいったことやら。天気も運気も下り坂か、今日の空模様のようにすっきりしない半日でした。
10月19日:きのこ狩りを!という要望で東里ヶ岳へ行ったのですが不発でした。昨年なめこが採れたこの山ならと思っていたのですが。こんなこともあろうかと、というよりこんなことの方が多い私としては、保険に持参した冷凍のなめこ、ならたけ、うすひらたけを出して山頂できのこ鍋。三角点の標石を台にしたので、三角点鍋などと言いながら舌つづみ。いい山の時間をすごすことができました。
この日、出会ったのは杉ひらたけ、オオキツネタケ、ほこりたけ、カワラタケ、名前知らずのきのこ3種類ほどでした。私が持ち帰ったオオキツネタケは食菌でした。今夜、ごぼうといっしょに炒めていただきます。石さん、桁さん、水さんごめんなさい。
10月10日:ハチ高原へ向かう途中、中瀬の町の小学校跡に駐車。寺前橋という小さな橋がかかる小川ぞいに北へ入りました。三柱神社を左手に見て奥に行くとどこまでも石垣と水路があります。うす暗い杉林ですがこの平坦地は田か畑だったにちがいありません。今は荒れて獣が闊歩する世界です。歩きにくい谷から尾根にのがれると、道はかえってよくなります。地形図で道は尾根を迂回していますが、私たちは急尾根を直登するコースをとりました。頂上手前は開けてとても気持ちの良い所でした。下山は鹿倉口へ。ここも尾根はよい道、谷は荒廃といったありさま。途中にある一軒の廃屋がいっそうわびしく思われました。鹿倉口に用意しておいた自転車で中瀬まで楽に帰ることができました。
10月9日:八木城跡は八鹿を西に抜けて関ノ宮へ向かう途中、八木の町の北側にあります。登山口の道路標識もあってずいぶん前から気になっていました。登山口は下、中、上の3カ所からありますが、その順に登りやすくなっていて、上八木登城路は荒廃がひどいので勧められません。下八木登城路は尾根の末端から登り、三ノ丸、二ノ丸をへて900㍍で本丸にいたります。私たちはここからさらに奥の土城とよばれる遺構をとおり、今滝寺まで足をのばしました。土城をすぎると道は心細くなってくるのではずさないよう注意してください。今滝川をおりかえすようにして下っていくと寺の端の車道に出ます。
10月8日:鳥取市智頭町にある牛臥山へは上板井原から無理なく周回できます。上板井原隧道を抜けた先の三叉路に駐車場があり、そこに車をおいて隧道上の古峠へと登ります。杉が植林された急斜面ですが道はジグザグにつけられているので苦しくはありません。峠からは尾根道になり牛臥山公園からの道を合してやがて智頭の町がよく見える山頂へ。海上山へは頂上から少しもどって東へとり海上山へと尾根道をアップダウンしながら進みます。海上山の頂は桧林の中なのでさらに進んで展望台へ。ここは視界がひらけてとても気持ちがよい所で、いままでの2つの頂よりも標高が高いのです。正午になっていたのでここで昼食。あとは、急尾根をくだって地蔵峠から上板井原へとくだりました。
天気のよい日には近くの山へでかけています。
いわゆる里山ですが、これがけっこう難しい。登り口がわからなかったり、地図の道が消えていたり、蜘蛛の巣になやまされたり。戦中、戦後の食糧難のころ開墾され畑だったところも葛や雑草、灌木におおわれ山にもどっていて、そのなごりの石積みの段を登っていくのも「いと をかし」といった心境になります。
写真を見て、どこの山に登ったかわかりますか(写真をクリックすると大きくなります)。山も街も角度をかえてみると、またちがった印象になるものですね。
日本の海をシーカヤックで旅するのに、
今ノトコロこれに優る入門書はないだろうと自負しています。
これから始める人も経験者も、ぜひ一度読んでみてください。
第1章はシーカヤックで海を旅するために必要なノウハウ
第2章は私のシーカヤックのフィールドと紀行になります。
途中に挿入されたエッセイもお楽しみください。
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