東北の海は三陸海岸を1度漕いだだけだが300キロ近い距離は半端ではなく、鎮魂と震災の爪痕を見る旅となった。
三陸海岸へ向けて北上の海旅。どこまで行けるかは、天気、体力、運次第。
1日目
初日は日本三景の松島から石巻湾を横切って田代島まで。
松島を出るまでは順調だったが、釜石湾の横断で逆潮と逆風に悩まされた。 田代島の港はキャンプができない。そう告げた村の若い人が親切に丘の上のキャンプ場まで車で運んでくれた。この島は猫の島と知られているようで、たくさんの猫を見た。テントにできた爪痕はよしとしよう。(事前に車を1台女川へ配送しておく)
2日目
昨日の若者が見送ってくれるなか田代島を離れる。今日は金華山経由、女川までだ。 11時過ぎまでは下げで、湾から沖へ向かって潮が流れる。これに乗って朝凪の間に漕ぎ進む。 黒崎からは霧が濃く視界50mほど、漁船のエンジン音に気をつけながら行く。
金華山の浜に上げてから黄金山神社を見物。これは寄磯崎を回って女川湾へ入るための時間調整でもある。正午を過ぎれば転流し上潮は湾内に向かう。作戦成功で今日は楽に漕げた。女川原発を左に見て進み、震災の爪痕も痛々しい港へ入る。復興工事進展中。
3日目
今日は神割崎まで30数キロの予定。女川湾を下げ潮を利して出島へ向かう。狭い水道の浜で休憩の後、さらに白銀崎を目指す。 次の休憩は黒磯を回った小さな入江。目の前には、北上川河口につながる広い湾がある。そこを横切ってウサギ島へ。追い風と追い波にせき立てられるように漕ぎ、神割崎を回り込んでキャンプ場下の浜に上げて今日の航程を終える。
(松島の車を回収、神割崎に1台配送)
4日目
快適な神割崎のキャンプ場を後に気仙沼を目指す。港は復興著しいものの、大きな港はカヤックには敷居が高い場所だから、そこへ入らず、大島奥の小さな浜をゴールにした。大島には本土と結ぶ橋が架けられつつあった。 今日は雨に降られ、少し波にもまれた。それでも気仙沼の西湾に入るとおだやかなものだった。
(女川の車を回収、碁石海岸へ1台配送)
5日目
今日は碁石海岸まで短い航程。唐桑半島を回り込んで、巨釜半造、折石を見物。 碁石海岸に着いたと思ったら、昨日入った黒崎温泉がある港だった。ひどい誤算。碁石海岸に向ったが、途中で濃い霧に包まれる。わずかな距離だったのでコンパスも用意してなく、GPSで現在地を確かめると、ずいぶん南に寄っていた。視界100mほどの霧が晴れると、思わぬ近さに港があるではないか。碁石海岸キャンプ場に上げる。(神割崎の車回収、小白浜へ1台配送)
6日目
大船渡から唐丹湾まで5つの湾を渡り、綾里崎、首崎、死骨崎と3つの大きな岬を回った。
南からの追い風と追い波には助けられるものの、岬先端は荒れるとのためしのとおり、カヤックはもまれっばなし。おまけに風裏の入江にさえもウネリが入って、陸地に上げて休憩もとれなかった。
唐丹の湾に入るまで、ほぼ7時間漕ぎっぱなしは、久々にきつい航程となった。
石巻の小白浜まで一緒に漕いだMさんは所用のためここをゴールとした。1週間の海旅おつきあいいただいたことに感謝。一抹の寂しさを覚えながら宮川さんと別れる。
(碁石海岸キャンプ場の車回収)
翌日は荒天のため休養を兼ねて遠野村観光
7日目
今日からは女房と二人になる。唐丹湾を漕ぎ出し、尾崎を回る。鋭く尖った岬は、わずかなウネリや風で難所になるが、この日は、ウソのようにおだやかだった。昨日、荒天を、予測して1日待った甲斐があったというものだ。
でも、そうは簡単に行かせてくれないのが海旅。難所はこの先の三貫島だった。休憩しようと寄った岸辺は波が騒ぎ、突風が渦巻いていた。飛沫が飛びパドルがとられるほどの風だったから、瞬間的には20m/Sはあっただろう。ほうほうの体で対岸へと逃げた。
次は両石湾を渡った大釜崎の逆潮。漕げど進まぬ状況。パドルは重く、手を止めるとたちまち目的地から離れていく。こんなときは、岸に上げて待つのが一番なのだが、時間がそれを許してくれない。
今日中に御前崎を越えて山田湾を渡っておきたかったからである。でも、とうとう力尽きてしまった。霞霧ヶ岳の東にあたる海岸線で泊まるのに適した場所を探しながら行く。 最後の難は上陸にあった。砂利浜は、ウネリが入ってなければいい上陸地なのだが、白い波が立っている。慎重に乗り上げ場所を観察した後、一気に突っ込んだが、岸辺でグズグズしている内に、次の波にカヤックがさらわれ、足を払われた私はつんのめって倒れ、女房は向こう側で下敷きになっている。そばで見ていると大笑いものだろうが、当人たちは必死である。なんとか浜にカヤックを引きずり上げて、一段落。奮闘の甲斐あって、とてもいい泊地を得ることができた。テントを張って、ビールを飲んで、月が昇って星が降る。いい夜だった。
8日目
最終目的地の宮古までわずか。この日は曇天で終日静かな海。潮流も感じるほど強くはない。昨日故障したラダーも修理した。 山田湾口を横切り、トド崎と快調に漕ぎ進む。トドとは魚扁に毛と書く。毛のある魚?うまい当て字だ。何の漁だろうか、たくさんの小舟がすごいスピードで行きかう。閉伊崎までは沖を行く。閉伊崎は碁石海岸に似た美しい入江だったので、岩の間を漕いでみた。
霧で見えない岸を目指し見当で漕いで行くと白い岩の浄土ヶ浜が見えてきた。遊覧船が出入りする入江に入り階段の岸に着ける。
あと1日、北山崎を越えて行く考えがふと頭に浮かんだ。満腹のくせにデザートを欲しがっている。その時、激しく雨が降りだした。これで未練断ち。8日間の海旅の終わりとなる。
佐渡島は本州等を除けば日本で一番大きな島。これを一周した。メンバーは女房とIさん。使用艇はフジタカヌーのA1とノア 。足は速くないけど安定性はいい。
8月2日に長岡の花火を見てから翌3日、フェリーで新潟から両津へ渡り、準備を整えて赤泊を起点に漕ぎだした。その日は宿根木の先まで。泊はすべてテント。
4日は沢崎から真野湾の口を横切って稲鯨へと渡った。七浦海岸を行くまでは良かったのだが、相川へは逆風と波に悩まされた。相川では買い物と温泉を楽しんで、夕方に千畳敷まで進んでテント泊。
5日は尖閣湾から外海府の海岸を漕ぎ進んで大野亀から二ツ亀へ。夕陽が格別綺麗だった。
6日は弾崎を回って姫崎まで両津湾口を横切る予定だったが、両津で温泉と食事をしたいという希望を容れて寄り道をした。
最終日の7日は、姫崎を回って前浜海岸を漕いだ。海岸線が単調で一番しんとなったが、5日間100数十キロメートルを漕ぎ抜いた充足感を覚えながら赤泊港へともどった。
三河湾を漕ぐのは初めてだ。古い山の友人がファルトを準備してくれた。 前日に恵比寿海岸で合流。 ここはコパカバーナかと思うほど外国人が多かった。 夜はたまたま開催された花火を見る。
翌朝、漕ぎ出す。 朝の間、風があって、朝凪ならぬ朝波のなかを行く。 佐久島には1時間半ほどで着いた。
東港の脇の砂浜に上げた。 貸自転車を借りて、早速島内見物に出かける。 あちこちにアートの作品があって、それを巡る。 島を一周してから、お目当ての大アサリ丼の店に。 開店前だったけど、店前のテーブルでビールを飲みながら待つ。 ツマミとケーキまで出してくれたのは、サービスではなく、親切心からだろう。 大アサリ丼はアサリ入の玉子丼という感じでシンプルだったが、美味しかった。 昼食を終えて、帰路につく。 追い風のため、風を感じなくて暑かった。 途中、ヨットレースに出くわした。 ジャマにならないよう観戦。 梶島の浜に上げて休憩し、もう一漕ぎで恵比寿海岸にもどる。
友人にはお世話になった。 いい島、いい一日だった。
英虞湾から志摩半島周回の日帰り。雨だけど湾内は平水、まるで湖のよう。ただし、リアス式海岸は複雑に入り組んでいて、どこが水路か入江か、島か陸地か分からない。地図とGPSを頼りに進む。次郎六郎海水浴場では、カヤックを準備する人の姿が見えた。ガイドツアーが盛んに行われているようだ。雨が激しくなり深谷水道の北口付近で雨宿り。ここを抜けると太平洋に出られる。
海面は一変して、風とうねりの影響が強くなる。風は4m/s、うねり周期は8〜10秒との予報だったので、漕げると判断。それでも、岬は荒れる。2メートル程度の高さのうねりも浅瀬や岩礁では巻き波、砕け波になって油断ならない。麦崎では突然現れたブーマーに咬まれそうになった。和具の漁港の先の小浜に上げて休憩。休みはこの一回だけで、漕ぎ続けて志摩半島先端の御座岬を回る。御座白浜の美しい砂浜に上げて昼食をとる。再び英虞湾内に入ると海は穏やか。2つの海を見た思いがした。
熊野古道の最後の行程は本宮大社から速玉大社へと熊野川を下る。そう教えてくれたのは、この古道を世界遺産に登録する運動をしていた人だった。その話を聞いてから 20年以上経って、やっと下る機会が訪れた。
前日の夜は新宮の居酒屋 。ここでしか食べられないクジラとイルカの刺し身を食べてみた。女房は生ビール、私はノンアルなのが口惜しい。
大社の河原で車中泊し、翌早朝に出発 北山川との出合までは、水量が少なく、船底を擦ったり、ぶつけたり そのたびに舟から下りて引いていく。ずいぶんと時間がかかった 北山川との合流してからは水量も増え快適に下ることができた。北山川と瀞峡にはリバーカヤックをやっていた若い頃に何度か来たことがある。荒瀬でもまれ、瀞場で憩う、そんなふうにしか憶えていない。
この先、新宮までは初めてだけど、 小さな瀬でもドキドキするのは、ホワイトウォーターの頃と変わらない。瀬が出てくるたびに前を漕ぐ女房とにぎやかに言い争いな
がら下る。熊野大橋の下手に着け、ファルトボートをたたんでバスで帰る。吉野から大社まで歩いた熊野古道奥駈道の仕上げとしての川旅となった。
今夜は、「ホテル浦島」に泊まる。名物の 洞窟風呂が楽しみだ。
古座川を下って、海に出て名勝橋杭岩から潮岬を回る。ベースは月野瀬のキャンプ場にした。駐車場とトイレしかないけど、小うるさい注意もない上に無料。こんなありがたいキャンプ場は少なくなった。夜中に雷雨、稲光と雷鳴、テントからポタポタとしたたる雨を我慢して寝る。
1日目
古座川は一枚岩から下った。 早朝なので誰もいない。ファルトを組み立て、流れに出す。ガイドツアーのコースだから、特に危ない箇所もない。瀬と瀞場が交互に現れる感じで、ストレスなく下る。水量は多く船底を擦ることもなかった。3時間足らずで河口へ。ファルトを右岸に上げてから、古座駅のバス停まで歩き、帰りの町営バスを待つ。
2日目
昨日から置いたままのファルトに乗って早朝出発。ファルトは川、海、兼用である。潮岬は本州最南端、黒潮の洗う岬、穏やかでいて欲しい。
古座大橋をくぐり橋杭岩を目指す。朝凪の中スムーズに進む。丘の上の串本ロイヤルホテルがいやに目立つ。橋杭岩の根元に着いた。 岩をポールに見立ててスラローム。干潮なので根元から回れない。 昨日、車で渡った大島への「くしもと大橋」の下をくぐる。 串本の漁師は優しい。頼りないカヤックの側を、波が立たないよう減速して通ってくれる。出雲崎を回る頃から逆風になり、 海面が逆立つ。休みたいけど、上げる浜は入江の奥、行くには遠すぎる。遠目には砂浜に見える所も、大潮の干潮時、岩礁が現れていて上陸はできない。諦めてクレ崎を越える。風は幾分収まって海況は悪くない。潮岬の灯台が青空に白く浮いて見え、美しい。岬の荒磯を回り込み、上陸地点を探す。展望台下の長い浜の一角に適所を見つけて上げる。どうやら4時間ほど漕いだようだ。 後は入江を横断するだけ。 難所は越えた。有田の漁港の向かい側に上げて終わる。ファルトを片付けてから、紀勢線の有田駅まで歩いた。12時の電車は出ていて、次の電車は午後3時。急ぐ旅ではない。高々2時間ほどのこと、待つことにしよう。車を回収してから海岸線を走る。うねりが出て、岸辺の岩礁に波が砕けていた。今頃、潮岬の辺りはどうなっているのだろうか。
日置川を下って熊野灘に出て、白浜まで行こうという3日間の計画。私たちとD夫妻はファルト、Iさんはシーカヤック。
1日目
瀬と瀞場なら難もなかろうとも思っていたが、浅瀬と梁に悩まされる。これらに出会うたびに、カヤックを下りなければならないので、面白くなく時間がかかる。おまけに短く狭い瀬があって、女房以外の全員1回は沈したり水につかったりした。秋の日は短い。口ヶ谷の橋で夕暮れ。Iさんはここでリタイヤし、4人でヘッデンを灯して河口へと下る。先は見通せなかったが、危ない瀬がなかったのが幸いした。満月が登ると、川面を明るく照らして漕航を助けてくれる。鉄道、高速、国道の橋をくぐり日置漁港へ。
ここで上げるかどうか相談し、海に出ることにする。河口辺りでうねりはあったが危険なものではなく、そのまま進む。夜に漕ぐのは久しぶりだ。月は明るく、海岸沿いの灯を見ながら行くのは不思議な気分。無事に日置大浜に上げて、停めおきしておいた車へ戻る。Iさんをピックアップして、出発点の車を回収。今日の日置川は川デビューの3人に優しくなかった。ここを選んだことを少し悔やんだ。
2日目
Iさんは仕事で帰り、残った4人で昨夜の終点の日置大浜からスタートする。志原の千畳敷を過ぎ、大崎を回る頃から向かい風。笠浦大島の奥の入江に入ると嘘のように静かだ。 風裏にあたるこの浜に上げ、休憩してから再び漕ぎ出す。岸辺の岩場にはたくさんの釣人がいて、それを横目に漕ぎ進む。風もこのくらいなら大丈夫と思っていたが、市江崎灯台を見るあたりから風が強まり、波はさらに高くなってきた。大きな波は直角から45度で応接しながら、富田を目指すが風景が変わらない。30分以上漕いでも椿温泉の白いホテルが常に右手にある。潮も逆に変わっていた。D夫妻のパドルブレードが後方でヒラヒラして見える。前進をあきらめて反転し、ハタ崎奥の入江を目指す。岸辺には浅瀬があって不規則な波が立つ。そいつに咬まれると、あっという間に沈してしまうので、注意しながら漕ぎ進み、D夫妻を待って入江へ。浜に上げて一安心だが、濡れた体に風が冷たい。岩礁にいる釣人を迎えに渡船がやってきて、波にもまれながら帰って行った。岩陰に風を避け昼食にする。風が収まるのを待ちながら、この浜に通じている破線の道を探したりしたが、水田の記号とともに過去のものになったのか痕跡もない。この先1㌔ほど進んで椿温泉に着けなければ帰れない。白波が少しおさまったのを見て漕ぎ出す。先ほどの強さの波はなく、何とかホテル下の砂浜に上げた。今日はここまで。わずか7㌔ほどの航程に半日がかり。太平洋に面した熊野の荒海は手強いものだった。予定した白浜どころか、半分の富田にも達しなかったがもう十分。
車を回収し白浜の「牟婁の湯」で潮気を抜き体を温める。一日の締めに「まぁる」という居酒屋で無事を祝う。酒と肴で話がはずみ、気がつくと看板になっていた。
3日目
中断した椿温泉下の砂浜から出発する。南白浜の富田へは立ち寄らず、湾口を横断して北岸を目指す。昨日とは違って海はおだやか。目標は海岸の山腹に点在する別荘地。白浜空港に離着陸する飛行機の下、アドベンチャーワールドの観覧車も見える。1時間漕いで八十磯東の砂浜に上陸した。
休憩後、名勝三段壁へ。ここを海から見上げる。波はおだやかで 断崖の際まで漕ぎ寄せられる。知床や隠岐の海食崖を見てきた目には、さほどの迫力に思えないが、空の青、海の碧に赤っぽい垂壁が映えて美しい。昨日なら考えられないような海況で洞窟などゆっくり見物しながら千畳敷へ。さらに白浜を右手に円月島へと漕ぎ進む。番所山ふもとの砂浜に上げて昼食。絵葉書のような円月島を見て白良浜にゴール。熊野の川、海をつなぐ3日間の旅を閉じた。
Ⅿさんの誘いで湯浅湾のシーカャックに行った。湯浅湾内にある苅藻島、鷹島を訪ね、鷹島の浜でキャンプ。スタートする栖原海岸には、ショップがありガイドツアーやカヤックのレンタル、駐車場やシャワーも完備していて初心者でも安心である。
我々は11名で、自艇のほかにタンデムを3艇借りて正午過ぎに出発。右前方からの風を受けながら少し波立つ海原を漕いだ。 ガイ
ドツアーの一行と入れ替わるように苅藻島に上がる。この島の最高点までは道があって、そこを登ると広い展望が得られる。また、島の北端には洞窟があり、カヤックで通り抜けができる。
鷹島の南側のゴロタ浜に上げてキャンプ。私と女房はカヤックで釣りに出たものの、ベラとチャリコしか釣れず、宴会に彩りを添えることはできなかった。浜では異臭がしていたので、聞くと海亀の死骸があるとのこと。一杯飲んで酔った勢いで、そいつを運んで荼毘にふしてやった。
宴会の後に、エギングで小さなアオリイカが釣れたので、刺身で食べた。昇天した海亀のお礼だったのだろうか。
日本の海をシーカヤックで旅するのに、
今ノトコロこれに優る入門書はないだろうと自負しています。
これから始める人も経験者も、ぜひ一度読んでみてください。
第1章はシーカヤックで海を旅するために必要なノウハウ
第2章は私のシーカヤックのフィールドと紀行になります。
途中に挿入されたエッセイもお楽しみください。
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