屋久島(花山歩道)

花山歩道の屋久杉
花山歩道の屋久杉

10月7日:鹿之沢小屋からは花山歩道を大川滝へと下りました。「若大将」のご主人が車を麓に回しておいてくださったので急ぐ必要もなく、ゆっくりと屋久島の樹林の雰囲気を楽しみながら歩きました。

 哲学者の梅原猛は屋久杉の幹にある空洞を見て、あらゆる生はその中に死を内包するものだと語りました。でも、同行したⅯさんの「屋久島の樹木は、枯死し倒れた木の上に苔が生え、そこに着床した種からまた多くの樹木が育つ」という話を聞いて、私は再生を思ったのです。根上りの杉の木の下には、その昔に倒れた巨木があったのですが、その巨木はいつしか朽ち果てて無くなりそこが洞(うろ)となるだそうです。そうするとその空洞は死ではなく、生きた証のようなものではないか、などなど思索はめぐります。屋久島の深い森は、私のような凡俗さえ哲学者に変えてくれるようです。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    みのりん (土曜日, 10 10月 2015 23:24)

    倒木の上に着生し、新たな命が育つのを「倒木更新」といいます。
    うっそうとした森も巨木が倒れることで光が差し込み、新たな木々が育ちやすい環境が出来ます。
    また、江戸時代の伐採の切り株に着生し、新たな木が育つのを「切り株更新」と言います。
    梅原猛の言葉は知りませんでしたが、屋久島は長い年月をかけて命の再生を繰り返しているんだと私は思っていました。
    凡俗?いえいえ、哲学がお似合いですよ^^

  • #2

    navi-o (日曜日, 11 10月 2015 15:44)

    梅原猛「森の思想」だったと思います。
    「縄文杉はまだ比較的強いが、川古の大樟の内部はほとんど空洞になっている。ああいう大木を見ると、生の本質は死をつつみこむことだと思います。生というものは死を含んでいる。死をつつみこんで生のほうがかろうじて勝っているのだと。我々の生命も本当は死をつつんでいる。」
    屋久島ではなく、佐賀県武雄市の大樟でした。縄文杉の部分が頭に残っていて引用を誤ったようです。
    このへんが、私の凡俗たる所以ですね。テヘへ