カテゴリ:山スキー



2016/01/13
1月8~13日:雪を求めて信越へ出かけてきました。山へ入るのをメインに計画していたのですが、あまりにも雪が少ないのです。9日に赤倉スキー場から前山へ登り、滝沢尾根を下りましたが、まったくの藪スキー。懲りて、翌日は杉ノ原スキー場で過ごし、11日には戸隠に回ってみました。飯縄山を戸隠スキー場から登って中社へ下る尾根をコースにとったのですが、これも藪。下山に時間がかかり、おまけに板は傷だらけになってしまいました。またまた懲りて、高妻山と佐渡山へというプランは放棄して帰路につきました。帰りの駄賃というか腹いせというか、未練たらしく開田高原のマイアスキー場で憂さ晴らし。雪よ降れ!!  良かったのは連日の温泉と下呂までの長い雪道ドライブ。そして冬の車中泊にすっかり慣れたというのが今回の成果でしょうか。 (詳しくはYAMAPでhttps://yamap.co.jp/mypage)

2015/11/25
11月25日:山から下りたとき、家族に無事下山を伝えるのは我が家の約束になっておりまして、以前は電話かメールで連絡していたのですが、相手が出なかったり文字を打つのが面倒だったりで、ついつい遅くなりがちでした。  携帯をスマホに替えたときラインとかいうものがあるのを知り、そこのスタンプを使えばいとも簡単ではないかと気づいたのです。...

2015/06/27
6月27日:今年のテントレックのメインは本を出すこと。やっと原稿が仕上がりました。本当はもう数年前に出していなければならなかったのですが、屋移りをしたり母を送ったり、予想もしていなかった大きな出来事が次々にあって、延び延びになってきました。「ひょうご山蹊記」を出してから10年は長すぎますが、その続編という位置づけです。でも内容は山域紹介ではなく写真のとおり、山歩きと岩登りと沢登り、そして雪山スキーに関する一味違うハウツーものになります。本当はシーカヤックでの海旅も入れたかったのですが、そうすると今の280頁にさらに50~60頁加えることになり、さすがにこれはあきらめました。カットはイラストレーターの次女が描いてくれました。女房はご愛想で面白いと言ってくれますが、身内ぼめしていても始まりません。さてさて、どうなりますことやら。

2015/05/28
5月13日~14日:鳩待峠は明るくなってから出発しました。雪は少なく、尾瀬の山ノ鼻まで滑るという期待は見事にはずれ、スキーをかついで大半を歩きました。それでも尾瀬ケ原の端っこ辺りからスキー歩行。咲きはじめた水芭蕉や広がる雪原を眺めながら猫又川沿いに歩みを進めていきました。柳平を過ぎ、左俣から尾根にとりつき、県境の尾根を目指します。台風の去ったあとの青空の下、長い行程を急ぐ理由は何もありません。それでも白沢山に立ったときには、まだあれを登るのかと思うくらい遠くに平ヶ岳の頂がありました。こんなときは何も考えないことです。ひたすらスキーを運び、無心の内になだらかで広い頂に立つと、4日前に登った越後駒がはるか向こうからエールを送ってくれました。3時間近くかかった登りも滑るとわずか20分ほど。スキーの威力と快感は捨てられません。白沢岳の登り返しから再びシールを着けて帰り道を急ぎましたが、行動13時間で打切りツェルトを張りました。

2015/05/27
5月11日:この日は巻機山に登るつもりで桜坂の駐車場で泊まりました。早朝に出発したのですが雪がありません。40分ほど行ったところであきらめ苗場山に転進することにしました。ところが5月いっぱい営業している「かぐらスキー場」を「苗場スキー場」と取り違え、閉鎖されているものと勘違いして関越自動車道を水上まで走ってしまったのです。誤りに気付いて引きかえし、かぐらスキー場に着いたのは9時前でした。遅い出発になりましたが、リフト終点から神楽ケ峰を経て苗場山を目指しました。女房は苗場山への標高差200mほどの登り返しを見てギブアップ。女房を残し12時30分まで行動すると決めて雪のない急尾根を登りました。山頂からの雪原へ飛び出すと丁度タイムアップ。頂上からの広々とした風景に満足して来た道を戻りました。神楽ヶ峰へと登り返し、後は滑降一本で春のザラメ雪を楽しみました。ヘマな段取りになってしまいましたが、修理したビンディングがしっかりと付いていてくれたことをありがたく思わなくては・・・・。

2015/05/25
5月9日:越後駒に登る日の天気予報はすっかりはずれて雨になりました。それでも朝の内は曇り空に薄日も差していたので出かけたのですが、小倉山を巻く頃から降りだした雨はいつしか本降りに。先行していた2人組は下山に転じ、もう一組のパーティは駒の小屋泊り。視界もきかず誰もいない山頂に着いたのは13時過ぎでした。シールをはずして靴をビンディングにはめ込もうとすると、土台がぐらぐらと動くではありませんか。恐る恐る見てみると、後ろの2本のビスがなく、前のビスだけでもっているのでした。テレマークでジャンプターンなんてすると、一発でとれてしまいそうです。負担をかけないようにシュテムで滑り、壁と呼ばれる2カ所の急斜面を何とか下りた先、小倉山への登り返しあたりでとうとうビンディングが土台ごととれてしまいました。まだ、下り行程の半分が残っています。自分もスキーをはずして、ツボ足で私につき合ってくれる女房をいい奴だなぁと見直す下山となりました。

2015/03/29
3月28日:扇ノ山の避難小屋は何度泊まっても気持ちの良い山小屋です。居心地の良さに今朝もゆっくりの出発となりました。朝の固い雪面はスキーがよく走ってくれます。大ズッコを越えるとあとは滑降一本。あっという間に山が遠ざかっていくのが惜しく、小ズッコでは鳥の声を聞きながらゆっくりと。上山高原では雪の下から現れたベンチに座り、わずかに残った焼酎に梅酒をあけてくつろいだのです。こんなによく晴れた日のこんな場所でのこんな時間は、3日間の苦闘の報酬のように思われました。雪の切れた林道でスキーをはずし、陽光降り注ぐ海上の村で、4日間約65㎞の兵庫オートルートの旅を終えました。

2015/03/29
3月27日:性懲りもなく夜明けて出発。朝の雪面はカリカリに凍てついたアイスバーン。トタン板の上を滑るような音を立てて、甑岩の下を回りこみ標ノ越えへ。この先の赤倉山の迂回が難所。前は枝沢へ下りてしまい大きな時間ロスをしてしまいました。今回、慎重に下ったつもりがまた同じ場所へと誘われてしまったのです。ここはTさんの突破力で急な沢の詰めをトラバースし尾根へと戻ることができました。私も地図読みと現在地確認を入念にし、以後コースを誤ることはありませんでした。陣鉢山を左に見て、その分岐を過ぎると小陣鉢山。この先の痩せ尾根は2番目の難所ですが、雪がなくスキーを脱がされました。その先で氷ノ山を目指す単独の人に会いました。こんな山深い所で人に会うとは驚きでした。悪谷ノ頭を過ぎても青ヶ丸はまだ遥かに遠く、三ツ谷ノ頭の急登と複雑に張り出した雪庇が待っていました。切石を越えて夕闇の迫る中、畑ヶ平の雪原を行き、諸鹿峠へは午後6時半到着。今日は17㎞、扇ノ山山頂まで夜歩きとなってしまいました。

2015/03/29
3月26日:今日は長丁場なので未明に出発する予定が寝すぎてしまい、明るくなって目が覚めるという不始末。結局7時半の歩きだしになってしまいました。三室山の北山腹を巻き、先を急ぎましたが、昨日の新雪がシールに張りつき下駄状態になってしまいました。特にTさんの方がひどく、登りも下りも難渋の極みとなり、行程がいっこうにはかどりません。おまけに、途中、私のうっかりで大ボウシの方の枝尾根に入りこんでしまい1時間のロス。引きかえす尾根のしんどいことと言ったらありませんでした。おまけがあって、Tさんのスキーがはずれて流れてしまいました。幸いすぐ下で止まってくれていたので時間ロスはたいしたことありませんでした。あれやこれやしながら、赤谷ノ頭を越え戸倉峠へ着いたのは午後6時。もう薄暗くなっていました。頂上小屋にはこの日、Tさんの会の人が上げてくれたビールが待っているのです。歩きました。それから4時間半。20㎞の行動の後の避難小屋でのビールが美味かったことは言うまでもありません。感謝。

2015/03/29
3月25日:先々週、扇ノ山から後山を目指した兵庫オートルートは悪天候のため敗退。今回はその逆コースを選び、3日間の好天をねらって出かけました。こういうぜいたくな時間の使い方ができる(言い換えれば「暇な」)人間はそう多くはありません。同行の姫路岳友のTさんは、暇に加えて山とスキーの熟達者で、アルプスのオートルート、日本のオートルートを走破しています。オートルートというのはスキーの山岳ルートのことで、実は後山~扇ノ山の提案も彼によるものです。Tさんの奥様に送っていただき、上乢から後山、駒ノ尾山を経てちくさスキー場を滑り下りました。晴れのつもりが激しい降雪の中、峰越峠への除雪された車道を歩きました。三国境で岡山県境を離れ、天児屋山を越えて大通峠で1日目、およそ17㎞の行程を終えました。ツェルトを張って寝たのですが、夜半の冷え込みが厳しく、何もかもが凍りつくような夜でした。

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