夏から読みはじめたローマ人の物語を終えました。単行本43冊は久々の長編で、私の読了後の感想は平家物語の冒頭の一節と同じになりました。洋の東西、時の古今を問わず人というものは変わらずにあるもののようです。権力の中枢にいる人は、決して無常観などをもってはならず修羅の道を歩むしかありません。でも、権力から遠くはなれている人々もその行使から無縁ではいられないのです。この本に縦横に織りこまれた時代と多くの人々の生きざま、その折々の思想や哲学にふれながら、すぐれた書物というものは他者の生をも我がものとして与えてくれるのだと知りました。
山に行けない日がつづいています。時間がないわけではなく、ただ、そういう気分になれないだけなのです。屋移り、母の急逝、短いあいだのめまぐるしい変化が、私の日常と平常心を狂わせたのかもしれません。心が満ちていなければ、山への発意もないものだと気づかされました。所在なく裏庭のベンチに腰かけて本を読んでいると、あたたかい初冬の陽ざしと丹生山の山並みがなぐさめとなります。そろそろ再始動をと考えますが、こうしたからっぽの気持ちをだいてもうしばらくすごそうかとも思います。今はそういう時が与えられているのですから。
11月24~25日:Dちゃん夫妻と立山へ。悪天候をきらって1泊の山になりましたが、目当てのとおり2日目は快晴、微風の初滑りとなりました。はじめて立つ浄土山からの雄山の姿が新鮮でした。竜王とのあいだのボウルをすべってから御山谷をちょっぴりかじり、雷鳥沢のキャンプ地へともどった一日。帰路、最終バスの車窓からながめる夕陽がシーズン明けを祝ってくれているようでした。
11月14日:社町の奥の三草山にキノコ狩りハイキングに行きました。完敗でした。同行のみなさん、ごめんなさい。この埋め合わせはいつかきっと。この山麓によくシバハリを採りにいっていたのですが、いまはこうして公開してもいいくらいありませんでした。なぜかはわかりませんが、今年はシバハリとの縁が薄いようです。でも、青い空と澄んだ空気、そして紅葉と落ち葉。この近辺を歩くのにいい季節が来ていることをしりました。
11月7日:就職してからずっと住みつづけていた加古川を出て三木に移りました。高台の気持ちのよい所です。東に丹生山の山並みが、西には高御位山、南に雄岡山、北は遠く笠形山がかすみ見えます。山が見える暮らしにあこがれていました。家も庭も広くなって、終の棲家としてはもったいないくらいです。
山のようだった段ボールの箱もおおかた片付きました。新しい日々がはじまる予感がします。よろしかったら一度おたずねください。
10月20日:朝から快晴!!こんな日には家になんかこもっていられません。姫路と加古川の境にある高山を歩いてきました。マイナーな山ですが、裏から見る高御位山から桶居山の姿が新鮮でした。実はシバハリを期待していたのですが、さっぱり。今年は少雨だったので出が悪いのか?早いのか遅いのかさえもわかりません。でも、そんなことはいいのです。秋の澄みきった空と風を満喫できたのですから。
10月10日:余部から三田浜までの香住海岸へ行ってきました。ここは、遊覧船がめぐるほど景観のよいところですが、シーカヤックだと洞門の奥深くまで入りこむことができます。幸い、この日は波がおだやかで、この美しくも険しい海岸をつぶさに見てまわることができました。兄弟赤島の前の入り江にあげ、チゲ鍋で昼食。案内させていただいたお三方はアウトドア関係の仕事をされていて、カヤックの経験もあるので、何のストレスもなく私もたのしませていただきました。秋の海もいいものですね。
10月7日:三木山森林公園のきのこイベントに参加しました。定員をこえる参加者で、この世界への関心の高さがうかがわれますが、食べたい一心で参加している私のような志の低い人もいて、ちょっと安心。で、感想は。目からうろことはいかず、あらためて奥の深さにため息。個体識別のむつかしさと大切さをおぼえながら、「ヤマドリタケモドキ」をひとつ失敬し、家に帰ってから試食してみました。たいして美味くはなかったですが、まだお腹は痛くありません。勉強はつづきます。
10月6日:女房と志方の大藤山を登りました。道は少し荒廃が進んでいて、石仏への道は草でおおわれて通行困難。また、大雨で山抜けしたところや倒木もあり、一般向きのハイキング道ではなくなっています。頂上の展望もないままに里山特有の迷路のような脇道や関電の点検路などを踏み分けてのさ迷い歩き。その果てが写真の舞茸と出会いでした。こんな幸運もあるのですね。
10月4日:きのこの季節になりました。先日、三成山で見つけたノウタケは、内部が白く若い状態なら食べられるそうです。ハンペン状の肉質でフライや吸い物などに、とのこと。食い意地のはった私としては、持ちかえらなかったことが至極残念。次の日曜日は三木山森林公園で開催される「秋のきのこ探検」に参加の予定です。識見をひろめなくては。
9月29日:息子の転勤先を訪ねる途中で、三成山に寄り道をして登りました。あまり有名でもなく標高も低いこの山には、一等三角点があり、めずらしい天測点の石柱が立っています。ふもとの後山の集落から山道をたどりましたが、荒廃がすすんでおり、途中にあった梨園も荒れ放題。それでも諸所に目印の札やテープがあり迷うほどではありません。帰路は林道にとりました。キノコを幾種類か見ました。脳茸を持ちかえらなかったのは残念。かの奴は食べられるのです。
9月15~16日:大峰の最高峰、八経ヶ岳(1915m)につきあげている白川又川(奥剣又谷)を遡行しました。大栂山の尾根を越え、フジノトコへおりて、火吹谷の出合で1泊。谷の底をナイフで切りこんだような標高差1300㍍の深い渓谷は、泳ぐ、攀じるの連続であきることがなく、3年越しになった私のテントレックは満足のいく山旅となりました。(フォトレポートをお楽しみに)
9月14日:家を買いました。11月頃までに引っ越す予定です。これからリフォームにはいりますが、できるところは自分でと思い作業をしています。これがなかなか面白く、荒れ放題の部屋を写真のように変えました。ここは私の遊び部屋になるのですが、今から遊ばせてもらっています。プロセスがたのしいのは山もおなじですかね。
8月31日:愛知川はどこで神崎川と名をかえるのか知りませんが、その支流の赤坂谷をのぼり、小尾根をこえてツメカリ谷、そして本流をもどるコースをたどりました。3人のご婦人の希望は「飛びこんで、泳げる沢」。滝の飛沫をあびながら谷を遡り、深い釜では飛びこみ、泳いでいると、いつの間にか子供のころの気持ちにもどっていました。まだまだ残暑がつづいていますが、その強い夏の陽ざしがありがたく思える涼しい一日でした。
8月27~28日:能登から帰ったその日の夜発で大台へ。好日山荘のSさんのプランにのせていただきました。堂倉は人気のある沢ときいていましたが、そのわけがわかりました。前半の美しい滝と釜。中盤のゴーロ歩きのあと一気に連続する滝を登りつめていく、沢登りの醍醐味が存分に味わえます。2日とも晴れることはありませんでしたが、たき火を囲んでのビバークもたのしく、もう一度いってみたくなる谷でした。
8月24日~25日:昨年夏、能登半島を一周しようとカヤックで行った輪島~千里浜、見附島~穴水。それに引き続く今回の海旅で、やっとすべてがつながりました。総距離は200㌔㍍くらいになるのでしょうか。24日、輪島の袖ヶ浜から漕ぎだして東へ。逆風に苦しみながら赤神の名もない浜にあげ一泊。翌日は能登半島の最先端、禄剛崎をまわって鉢ヶ崎から見附島まで行きました。テーマの朝市、温泉、ルミュゼドゥアッシュのケーキの他に輪島崎町の祭り、能登丼等々に出あうことができたテントレック5番目の旅でした。(フォトレポート掲載)。
8月18日:シーカヤック講習会に参加いただいたお二人と女房、そして私の4人で浦富海岸のワンデイツァーに行ってきました。岩戸の漁港から出て、浦富とは逆方向の鳥取砂丘へ向けて漕ぎ、その沖合にある海士島を見てきました。全島、岩でできていて玄武岩の柱状節理が見事でした。島をまわってUターンし、Tさんが教えてくれた滝ノ磯にあげて早い昼食。網代の漁師さんからサザエをいただいたり、浦富の海岸線を丹念に探ったり、スノーケリングや昼寝をしたり。通りぬけのできる洞窟が多かったのも意外で、たのしめました。ゆったりとした一日、これも海がおだやかでいてくれたおかげです。
8月17日:どこかの道の駅で買ってきたきり冷蔵庫の中でねむっていたくるみ。割り方がわからなかったのですが、包丁一本でひらくことができました。要は、煎るとできる、つなぎめのわずかなすきまに包丁の刃を押し込むだけ。面白がってやっていたのですが、がんこなやつもいて、あやうく指を切りそうになりました。米ぬかクッキーにまぜこんで食べるつもりです。今日も主夫はいそがしい。
8月11日:扇ノ山西面にくいこむ上地川は河合谷林道の横切る本谷口橋で大きく2本にわかれます。大ヅッコからのびる尾根にふりわけられて南側は本谷、北側は唐戸谷とよばれ、いずれも同じくらいのスケールの初心者むけの谷です。10年ほど前に唐戸谷を登り、本谷を下るという山行きをしましたが、そのときの印象がよかったので唐戸谷を案内しました。何度かの集中豪雨のためか谷は荒れて小滝のいくつかは土砂でうずもれ、流倒木が谷をふさいで遡行の興がそがれることしばしば。参加いただいた方々への言い訳にもなりませんが、谷は変わるものだということをあらためて認識させられました。
8月6日:以前に若桜のTさんからお誘いがあった来見野川の沢登り、池郷から帰ってパソコンを開くと計画書が届いていました。女房のあきれ顔にめげず、早朝に出発。Tさんの友人6名に加えていただきました。この流域は10数年前に釣りによく入っていたところで、景色を思い出しながらなつかしく登ることができました。同行した若い人の植物や生き物の知識、地元の人たちならではの情報などにふれ、この日も新鮮な一日となったことを感謝です。
8月4日~5日:池郷川は2回目ですが、今回は遡行ではなく下降でした。知床縦走でお世話になったMさんの案内で総勢5名。懸垂、飛びこみ、泳ぎをコアとするキャニオニングの方法を教えていただきました。登るのときとはまったくちがった谷が見えてくるのが驚きで、またそのスピードの速さ手際のよさに熟達したものを感じながら得るものが多い2日間でした。ただ、下降の最後のところでアクシデントがあり、降りつづいた雨のように湿った思いが残りました。池郷でのことをふりかえりながら、Mさんの一日も早いご回復を祈るばかりです。
7月28日~30日:上高地を起点に明神、前穂、奥穂、西穂をたどる縦走へ行ってきました。これは去年に計画して行けなかったプランですが、前穂までは堂ちゃん夫妻が同行してくれ、吊尾根では夏合宿で来ていた「いなみ山の会」のみっちゃん達から水のプレゼントがあり、全行程を歩くことができました。上高地の写真の案内看板にある山(岳沢をぐるり取りまく峰々)のすべてをたどったことになります。面白かったのは言うまでもありません。(ザイル必携、一般向けではない。)
7月26~27日:若狭、耳川水系、折戸谷支流ウツロ谷は初心者向けのコンパクトな沢です。この沢の源流は標高が900mにもとどかない三国山、赤坂山ですが小滝が連続してあきることがありません。それだけでは少し物足りないかと思い、となりの湯ノ花谷を下降を加えて案内させていただきました。何も教えられることもないほどスムーズな遡行・下降となり、印象的だったのは赤坂山の頂上から眺める琵琶湖畔の夜景と帰りに立ち寄った「源与門」の鰻重だったというのはガイドとしてはどうなんでしょう。
7月21~22日:舟屋で有名な伊根から出て、経ヶ岬をまわり、立岩のある間人まで1泊2日のシーカヤックの旅。6月のシーカヤック講習の受講者を中心に12人のパーティになりました。当初は琴引浜から出発の予定でしたが、強風、白波のため、伊根湾に転進したものの逆風にあい、初日は泊までしか行けませんでした。2日目は、朝の間は凪状態、経ヶ岬をまわると追い風となり舟はよく走ってくれました。途中、適当な浜にあげて食べたり、飲んだり、泳いだり、にぎやかでたのしい海旅でした。いつもは少人数ですが大人数もいいものですね。
7月15日~17日:新穂高から西穂、奥穂、北穂を経てキレットをこえる縦走を行いました。この3000㍍級の山稜は岩場がつづくけわしい道です。案内させていただいたお二人は、鎖場や岩場も難なくこなし12時間に及ぶ行動でも笑顔の余裕。力のある証拠です。今回は梅雨の合間の晴れマークをあてにして出かけてきたのですが、2日ともほとんど霧のなか。でも、一瞬のガスの切れ間に見える峰や谷は色彩と光に満ちてすばらしいものでした。やはり穂高はいい!!そんな想いが共有できた山行となりました。
(フォトレポートをごらんください。)
7月8日:悪天のため能登の旅は延期し、岡山で孫の顔を見たあと直島へ行ってきました。この島へはカヤックでしか来たことがありませんが、船賃わずか280円、10数分でわたれます。これとくらべるとカヤックの非効率性は表彰もんですね。上陸後、ブロンプトンで本村からベネッセ美術館、宮浦と島を一周しました。いつの間にか多くの観光客が来ていて、村の狭い路地はにぎわっていました。私はアートといわれる世界に背をむけて、いつか漕いだ海原の航跡に思いをはせるのでした。
7月2日:母のお供で千葉へ行きました。その行きがけの飛行機から富士山が見えました。画像をクリックすると大きくなります。谷筋にのこる白い筋は雪でしょう。梅雨空の雲の切れ間から、ほんのわずかに頭を出してすぐにかくれてしまいましたが、これだけでちょっといい気分になれました。
6月26日:朝、通勤途上の女房から「よその家の庭に木いちごがなっている。例の場所の木いちごも収穫できるはずだからとりにいくように。」とのミッションがはいりました。先週は白い花が咲いていたので半信半疑で車を走らせましたが、いちご畑と呼んでるその場所に赤い実が点々と。熟れたものは少なかったのでまだ早いようでした。でも、小一時間の労働で500gほどになったので、家に持ちかえりジャムづくりです。問題はあの小さくてかたい粒。今回それをどう処理するか?主夫はなやみます。
6月23日:関西にいるテレマーカーの飲み会で大阪へ出かけてきました。時間にゆとりがあったのでブロンプトンをもっていき、梅田から中之島、天神橋筋とまわって「繁盛亭」という寄席をみつけました。落語で笑って粉もんで腹いっぱいというコースは次のたのしみに。
飲み会には30人ほどの出席で冬以来の再会がうれしい集まりでした。私は一次会でおいとましましたが北の繁華街は人であふれていて、明るいときとは街の表情が一変しているのに驚かされます。その風景にとけこみ、酔漢のひとりになってフラフラ歩く私でした。
6月20日:2回目のシーカヤック講習を加古の大池でおこないました。台風4号と5号の間の日、涼しいアズマヤの下でコーヒーを飲んだり、おやつを食べたりしながら座学。女房に「あんた話が長すぎ」としかられましたが、それでも何か話しわすれたような。ブームのような形でシーカヤッカーがふえるのは望みませんが、カヤックを通じて海を知り、親しむことができる人が生まれるのはとてもうれしいことです。お忙しい中をご参加くださいましたみなさんありがとうございました。また、いっしょに海を旅しましょう。
6月18日:2度目の鷲峰山になりました。台風4号が近づいてきていましたが、雨はふらずになんとか一日もってくれました。修験者の行場を行きながら夏山にむけて岩場のトレーニング。岩場での身のこなしができるまでは時間がかかりますが、案内させていただいたおふたりともだんだんいい感じになっているのがうれしい。帰りは道草をして伏見のまちのポタリング。寺田屋に酒倉と銭湯とまわりました。下調べをしていなかったのであちこちと迷ってしまい、山の中の地図読みの方が楽かもと思った私のおそまつでした。
6月10日:鉢伏山の山麓にある小さな村葛畑。そこの芝居堂で子ども歌舞伎を観てきました。数年前に偶然、この舞台で地元の子どもたちが演じる歌舞伎に出あってからすっかりファンになってしまいました。公演場所は出石の永楽館や関宮のノビアホールだったりしますが、今回は全国地芝居サミットということで葛畑の舞台。佐用町や奈義町などからの参加もあり満席でした。頭の上でトンビがないたり、花道をカメムシがはったり、裏の田のあぜ道を小道具のふすまが行き来したりするのも趣で、いっしょにいった母も目をほそめながらたのしんでいました。それがまたうれしい一日でした。
6月9日:今朝は雨模様。ほったらかしの冬装備をかたづけていると、いつの間にか雨もあがっていたので自転車であてもなくおでかけしました。稲美町の池をてきとうにつないではしる新鮮さ。こんな近くにこんな風景があったのかとおどろきと再発見の半日になりました。車と歩きの中間の行動半径と視界の広さ、見ようとしなければ見えないものってこんなにたくさんあるものなんですね。
6月7日:兄とその友人のおともで竹田城へいきました。平日だというのに大勢の人がおとずれていて、車のナンバーに岐阜、新潟もあり、ずいぶん遠方までこの古い山城の名は知られているようです。私はほぼ20年ぶりでしたが、あらためてその縄張りや石垣の見事さに目をみはりました。涼しい風がわたってくる本丸で昼食をすませ、午後は対岸の立雲峡から竹田城の全容をながめました。冬にあらわれる雲海にうかぶこの城の写真はここからとられているのでしょうが、今日の竹田城はかすむ緑のなかにありました。
6月5日:加古大池のまわりをポタリング。5月にみんなで会食したあの場所で、買ったばかりのヘネシーハンモック(蚊帳にフライつき)をはってみました。思いのほかかんたんに設置できたので、さっそく中にはいり読書。「ローマ人の物語3」を読んでいるうちにウトウトし、背中の寒さで目がさめました。小さな改良点はありそうですが満足。今年の夏の省エネはこれできまりそうです。
6月2・3日:シーカヤックの講習を加古大池と岡山の犬島で行いました。当初は4~5人でちまちまとと考えていたのですが、私もふくめて総勢14人。おおぜいになったので急きょ部屋を借り、資料もととのえ、カヤックも提供いただいて、しっかり開催することができました。「岸辺のちょい漕ぎ」というのではなく、本格的な海旅、カヤックはその道具というコンセプトで講習したのですが、どれだけお役にたてたのか。でも、犬島では私はほとんどしゃべることがなくなり、講習などわすれてキャンプにツァーとたのしんでいました。ご参加いただきましたみなさんありがとうございました。
5月26~27日:大阪の新世界であったイベント「ツムテンカク」で娘が絵を描いているのを見にいったついでのポタリング。ポタリングのついでに見にいったというのが本当かもしれません。イベントがはねてから、ジャンジャン横町で定番の串カツ、通天閣の夜景、難波のにぎわいと大阪の街の夜ポタをたのしみました。翌朝は早くにおきて、ねぼけまなこの繁華街、心斎橋筋から中之島へと走り、さらに足をのばして大阪城公園を一周してみました。夜と朝、大坂にはいろんな顔があるんですね。
5月22日:岩登りのガイドで和気アルプスへ行きました。白岩様(鷲ノ巣岩)で岩登りの講習をしてから、このちいさな山域の最高峰、神ノ上山にのぼって鵜飼谷温泉へとくだるコースをとりました。白岩様ではロープワークや基本動作など練習のあと、3ピッチほどやさしいスラブをのぼりました。真夏日でとても暑かったのですが、岩の上はすずしい風がふき、見晴らしもよくてたのしい岩登りになりました。終了点の岩の上で飲んだ熱いコーヒーが格別においしく感じられたのは、喉のかわきばかりではなく、私にも何か満ち足りるものがあったからでしょう。
5月19日~20日:大槌島の端正な姿はまるで海に浮かぶ富士山のようです。小5のとき臨海学校で渋川にきて、ここからカッターでこの島近くまでこいだ記憶があります。その折はすっかり船酔いしてしまいましたが今回はカヤックで軽快でした。上陸して頂までのぼってみました。「瀬戸内の無人島には洪水でながされてきた蛇が棲みつくのだ」というおどろおどろしい話とはちがって、島のてっぺんは明るく、内海に浮かぶ島々をながめているとさわやかな潮風がとおりすぎていくのでした。
(この後、女木島まで足をのばしました。いい旅になったのでフォトレポートにのせています。)
5月16日:私のカヤックの師匠Fさん、職場の先輩Sさん、それとmaruchanと一年ぶりの野外食をたのしんできました。昨年は古法華の公園でしたが、今年は加古大池の畔のmaruchanお気に入りの場所。アオサギ、ダイサギ、カイツブリ、マガモ、カワウ、コゲラ等々の鳥たちが入れ替わりやってきます。やわらかな木洩れ日をあびながら、食べ物とビール、そしてつきない会話のある一日でした。
5月13日:岡山の息子宅に椅子を届ける途中で、和気アルプスに立ちよってみました。標高も低いので軽い散歩のつもりでしたが、出てきた岩場は下から見上げるより大きなスケールがありました。傾斜はゆるくホールドも豊富でフリクションのよくきくスラブは初心者の入門にはちょうどよいと思います。女房殿は久々の岩登りで汗をかいたようで、近くにある鵜飼谷温泉にはいりました。おかげで本来の用事をすませて帰宅したのは午後9時半、ビールを飲んでバタンという一日になりました。
5月9日:京都の宇治田原町にある修験の山へ鷲峰山へ行ってきました。お二人のご婦人のガイドでしたが、私も初めてのところなので、行場にある岩場でのサポートという役目になりました。行場は金胎寺を起点に尾根をしばらく行った後、清水谷川へとくだって周回するようにつけられています。「覗き」「胎内岩」「鐘懸」「蟻の戸渡」等々、修験道ではおなじみともいえる名の難所をゆっくりとめぐります。昼食をとった「平等岩」からは眼下に和束の茶畑が見え、対岸の山腹もみずみずしい青葉につつまれていました。雪のあるところから帰ったばかりの私には、初夏の光がまぶしい一日でした。
4月28日~5月6日:北海道往復は新日本海フェリーで海の旅。飛行機より時間がかかりますが、ゆったりとした時間がすごせるのがいいですね。知床半島縦断は羅臼から足のそろった5名で出発しました。前半はテレマークスキーを駆使して快調でしたが、後半は雪が消え長い板を背にしての這松こぎ、時速200㍍のペース。文字通りの無用の長物に苦しみながらも6日間かけて知床岬の灯台へとたどりつきました。おりしも北海道は記録的豪雨の大荒れ、その間隙をぬってN船長のボートが迎えにきてくれたのは大感激でした。2006年のシーカヤックによる知床半島一周に加え、今回もすばらしい旅ができました。ヒグマに会えたし、知床の大自然に惚れこんだ素敵な人たちにも出会えました。硫黄の宿「シリエトク」のみなさん、「知床ファクトリー」のSさんのサポートに感謝です。
4月21日:岩木山スカイラインの開通は大雪のため25日に延期されたので、仕方なく百沢コースを往復することにし、リフトのとまったスキー場を登りました。山頂にまとわりつく雲ひとつない快晴のもと長い雪の斜面を根気よく登ります。鳳鳴ヒュッテでスキーを負い一段登ったところで春スキーコースを整備する一行に出会いました。ここにザックをおき、頂上を往復してから滑降にうつりました。登り4時間の苦労がむくわれる瞬間です。岩木山の純白の大斜面にきれいなシュプールをのこして15日間の東北山スキーの旅をおえました。
4月20日:青森空港で女房を迎え八甲田山へ。今日はロープウェイが標高1300㍍まで一気にあげてくれるので楽でした。田茂萢岳から宮様コースを滑った後でシールを着用し、大岳ヒュッテへと登りました。この小屋で小休止してから大岳へと登ります。濃淡のあるガスが去来し、その切れ間から時折見える景観が私たちのよろこばせてくれます。頂上でシールをはずし大岳環状ルートを滑りました。女房も少し腕前を上げていて、だれもいない大斜面をふたり満喫。酸ヶ湯温泉で身体をあたためてから車で奥入瀬、十和田湖とまわると、今日の陽がしずんでいくのでした。
4月18日:大館の友人宅に寄留させていただき、そこから出発。Oはサイズがあわないスキー靴で指先をいためてしまい行かないので単独になってしまいました。マタギの里、阿仁の村をぬけて阿仁スキー場には5時半到着。晴れの予報ははずれて終日ガスでした。ゴンドラはゴールデンウィークまで動かないので長いゲレンデを登り、4時間ほどかけて頂上へつきました。下山は滑るにはちょうどよいゆるやかな傾斜で、きれいな避難小屋もあってスキーでたのしめる山です。帰りに温泉にはいった後、ドブロクと熊肉を買って帰りました。
4月16日:前夜は後生掛温泉温泉に泊まり、まだ開通していないアスピーテラインを蒸の湯分岐まで車で登ってから出発。なだらかで広々とした高原の散歩です。吹雪かれるとコースをあやまりそうな気がしますが、適当に竹を立てた標識もあるし、トレースも残っているので心配するほどでもないかもしれません。頂上へは10時前につき目の前にひろがる広大な風景をたのしみました。昨日登った岩手山とは対照的な「平」という字にふさわしい山でした。
4月15日:焼走コースからの標高差は1400㍍。広く溶岩が流れ出た台地を行き、その噴火口跡まで登ります。ここから上は一気に800㍍の斜面、25度くらいの傾斜でしょうか。これをアイゼくんをきかせて直登しました。岩が現れ、雪が薄くなったところでスキーをデポし頂上へ。今日も空は晴れわたり、南に登ってきた山々、北に新たに岩木、八甲田の峰が見えます。ふもとの自衛隊の演習場から実弾訓練の音が響いてきました。岩木山はその山容だけでなく性格も富士山に似ていると思います。デポ地からはスキーを足にし、3時間かけて登った斜面を10分ほどでくだりました。きれいな回転の跡が雪のカンバスに残っていました。
4月14日;田沢湖スキー場のリフト終点で係員の人から3月に遭難があったことを聞かされました。水沢で滑落し凍死とのことです。山はいつも怖いものです。急登の尾根は上部で細り、かたく凍りついていました。スキーをあきらめアイゼン・ピッケルにかえて男岳に。目の前には男女岳のふっくらとした小山が見えました。スキーにはきかえて雪原と化した阿弥陀池へと滑りこんでからその頂へと登りました。すばらしい景観でした。南に鳥海、月山。北には岩手山が雲の上に抜きん出ています。滑りも最高で、私はそのまま北の八合小屋から「アルパこまくさ」まで長いクルージングをたのしませてもらいました。車回収に行ってくれたOに感謝です。
4月12日:今日は標高差1600㍍超の長丁場のため未明に出発しました。ヘッドランプを灯し、GPSを駆使しながら進むと尾根に出るあたりで夜が明けました。滝ノ小屋までゆるやかだけど長い登りがつづきます。風が間断なく吹きつけるので小屋にはいって身支度を整えなおしました。この先は外輪山まで急登になります。伏拝岳の下1900㍍あたりでスキーをデポし、アイゼンとピッケルにかえました。不調のOは遅れ気味なので、先を急ぎ行者岳をこえた所で急な氷雪壁をくだりました。アイゼンのツァッケがかろうじて立つという危険な状況でしたがピッケル一本でバランスをとり無事に火口底へ。さらに雪壁を登って新山の頂上へ立つことができたのは幸運でした。帰路のスキーは刻々と変化する雪に悩まされて快走とはいきませんでしたが、明るいうちに車へと帰りつきました。
4月10日:月山スキー場は今日からオープンです。神事があるためリフトが動くのは10時からとのことなので、清水コースを志津温泉まで滑ると、運よく9時30分のバスをひろうことができました。スキー場へもどるとちょうど神事がおわったところでした。リフト代無料なのでゲレンデを1回滑ってから月山へ向かいました。牛首から先、頂上への斜面は固くクラストしていてスキーアイゼンなしでは無理な状況でしたが、アイゼくんのおかげで無事に登ることができました。風はつよかったものの快晴で雲の上にうかぶ鳥海の山が見事でした。頂上からの滑降もすばらしかったことをつけくわえておきます。
4月8日:7日に豊橋で友人Oをピックアップして東北山スキーの旅がはじまりました。7日は道中吹雪。飯豊山、朝日岳はアプローチの除雪がまだで、早々に計画からはずしました。かわりに2月に行った蔵王、刈田岳へ宮城側「すみかわスキー場」から登りました。今日8日が最終日とのことでリフトでスキー場トップに。除雪がすすむスカイラインを横切り、クラストした斜面を登ると刈田岳の避難小屋につきました。頂上はそこからわずか先、地元の人が見えたらよかったのにねぇ、となぐさめてくれたお釜は2月と同じくやはり雲にとざされままでした。
4月3日:天気がくずれることがわかっていたので、大山から名色のゲレンデ跡に行先を変更して雪山のトレーニングに行ってきました。でも、「爆弾」というほどの低気圧に発達するとは。雨と風は強かったですが荒れる冬山からみれば、通常のものともいえます。気温が高くビチャビチャの雪に、もう少し固くしまってくれていたらと不平をいう始末。世間の騒ぎも知らずに黙々とザイルワークやビレイ、滑落停止などの技術講習をやっている私たちというのはいったい何なんでしょうか。
4月1日:午後から弥高山へ登ってきました。広嶺山と増位山の間にある谷をつめ登ると弥高山へ。登りついた頂でぜんざいを食べて休息。下山はだれが名づけたのか「梅田新道」という名とは裏腹なさみしい尾根道をたどりました。一本松峠からさらに増位山の西尾根をくだり、視界がひらけると姫路の市街が足下に、とおくには家島も見えました。時々こうした開けた風景に出会うと日常のこまごまとしたことなどどうでもよくなってしまうのです。足元の競馬場では最終レースもおわったのでしょうか、駐車場で多くの車がうごめいているのが見えました。
3月29日:全国的に晴れとの予報を聞いて氷ノ山へ出かけてきました。わかさスキー場の樹氷第2・3リフトの運行は休止され、ゲレンデを歩かなければなりません。これをきらってコースを氷ノ山越経由に変更しました。平日なのにけっこう人が来ていました。姫路の知人にも偶然に会ったりして7パーティ10数人は見たでしょうか。雪はまだたっぷりです。私は八木川の源流をすべりましたが、クラストとベチャ雪がまだらにあって、足をすくわれたり、つんのめったり、難儀な雪でした。標高1,200m地点あたりからもとの尾根へと切りあがって、最後は氷ノ山越から木原八丁下のオープンバーンを飛ばせたので、気を良くして帰りました。もう、すっかり春ですね。
3月25日:道の駅「ふたかみパーク當麻」で車中泊。朝の間に二上山に登りました。456段の階段を登って展望台に立ち、飛鳥の方に目をやれば畝傍、耳成、天香久山の大和三山が見えました。この先はアップダウンもあってけっこう長かったですが、雄岳の頂についてから大津皇子の墓へ。大伯皇女の「うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む」という悲しい歌は有名ですね。馬ノ背をへて雌岳、岩屋峠、祐泉寺へととり、午後からH君たちと合流。Mさんの鶏舎でニワトリをごちそうになりました。きれいな景色を見て、美味しい物を食べて、いい人に出会うという素敵な一日になりました。
3月11日:NさんとW君と車中泊。翌朝、再度氷ノ山へと出かける途中でTさんたち3人に偶然出会い、三ノ丸から落折へというTさんのプランに便乗させていただきました。わかさスキー場から三ノ丸へ。天候が急変するなか視界のきく間にと県境尾根をすべりました。標高差登り250㍍、下り880㍍という効率のよさに加えて、このコースは変化に富んで山を行くスキーの醍醐味がつまっているように感じました。地図をよみながらこれをみつけたTさんに敬意をはらいつつ、私もだれかを案内したい、いや本当にいいものは秘密にしておきたいという思いが交錯するのでした。
3月10日:アイゼくん主催のテレマークスキーツアーで氷ノ山に行ってきました。リフト終点からはじまる急な尾根は、前日の雨が凍りついてカリカリ状態でした。そんな所もアイゼくんならストレスなく楽に登れます。あいにく天候が悪く氷ノ山山頂へは行けませんでしたが、三ノ丸まで登って避難小屋へ。壊された戸をたてなおし14名がはいると小屋は満杯。みんなでぜんざいを食べました。その後、ホワイトアウトの中をすべって、西尾根から大段のコルを経てスキー場へもどりました。視界不良に杉林の悪雪など、なかなか厳しい状況だっただけに、かえって得るものがあったように思います。
3月8日:W隊長のお誘いで2度目のくらますへ行ってきました。前回とのちがいは単独ではなく総勢5名、新雪ではなく堅雪、雨ではなく晴れ。というわけで、けっこう楽しめました。くらますの北にあるなだらかなピークから東におちる尾根は、きれいなオープンバーンで標高差にして100㍍強。ここの滑降がハイライトでした。帰りもやや雪は重かったものの、樹間をぬって面白くすべられました。でも、もっとも印象に残ったのは、ここからながめる山々で、ちがう表情を見せてくれる三室山、沖ノ山、東山、氷ノ山の姿が心に残りました。
(W隊長のブログです http://www3.ezbbs.net/13/jl2wnp/)
3月6日:ナカッタンとW君のプランにのせてもらい扇ノ山へ行ってきました。海上から道のない尾根を登る予定でしたが、村はずれの入り口で迷ってしまい、左馬殿道という石橋からの登山道にでてこれを上山高原までつめるという結果になりました。朝の雨はすっかりあがり、青下からの道をあわせて上山高原にでる頃には青空に。陽光にかがやく上山の白い丘にひかれてそこをすべってきました。ブナの芽吹きにはまだ早いのですが、木々の冬芽もふくらみ、つららからしたたり落ちる水滴が春への時を刻んでいるようでした。
3月2~4日:白馬村の岩岳スキー場で開催された「てれまくり」に行ってきました。全国のテレマーカーが集まる一大イベントで2日間で延べ千人近い参加がありました。レースやミニツァー、懇親会だけでなく関係メーカーの協賛もあり、スキーの試乗やブーツ、ウェアの試着、板や靴が当たる抽選会など盛りだくさん。私も一新工業さんの「アイゼくん」売出しキャンペーンのお手伝いに行ってきました。評判は上々で商品説明に追われるすきをねらって、ちょっぴり滑ったりしました。写真はその一コマ。見事に晴れわたった2日目、後立の山々がほほえんでいました。
2月25日:ちくさ高原スキー場からダルガ峰、駒の尾山へとTさんご夫妻と行ってきました。朝の雨は雪に変わり、それもやんでちくさの山々は終日ガス。視界がきかないのを逆手にとって、あのわかりにくいダルガ峰周辺で地図読みの練習をしました。山では基本的で大切な技術ですが、たいていの人は面倒くさがります。それをお二人とも楽しいと言ってくださったので嬉しくなりました。地図が読めてテレマークがうまくなれば、雪の山を自由にかけ巡れます。ゲレンデをすべりおりながら、そんな日が近いような予感がしました。
2月21日:前日にアップ神鍋ですべり、その足でおじろへ行って車中泊。翌朝、ゴンドラで標高800㍍のゲレンデへ。しばらくそこですべってから同行のK氏とわかれて高杉台ツアーコースをたどりました。気になっていたのはゴンドラの支柱が立つ尾根で、ここがおりられたなら前回の林道へ入るより面白いかもと思っていたのですが、よかったのはその支柱まででした。細い尾根はやや急で、山道の窪みのすべりにくいこと。最後は墓地、こんもりと雪をかぶった墓石のお出迎え。というわけで、このコースは封印しておきます。
2月12日:大山から転進してアウトサイドの週末スキーツアーに参加しました。場所は大江山、案内はこの一帯を庭とするS氏。スキー場のリフトをおりて林道を行く13人は足がそろっていてまさに行進をしているようでした。標高の低い割に雪はたっぷり、おまけにホワイトアウトでしたが、ワイワイガヤガヤとなんの懸念もなく雪の山をたのしみました。740mのピークから鍋塚、林道終点の小屋を経て、最後は鬼の交流博物館へ。鳩ケ峰の東側、鍋塚東尾根の切り開きなどスキーによさそうな斜面があり、興味のつきない山域であります。裏山がここというS氏たちはなんと恵まれていることでしょう。
2月11日:昨年のバックカントリー講習会に参加してくれたNさんKさんとテレマーク関西講習会参加者のM君、それと女房の5人で大山へ。スキーをはき夏山登山道を登ると、さすがに人気の山、ひっきりなしに登山者がつづいてきます。踏み固められたトレースではどうもツボ足の方が速そうでしたが練習と思い六合目下までスキーのまま。ここから西側の沢筋へ入り、標高差500㍍のパウダーを歓声をあげながらすべりました。途中の早い昼食もはさんで正午頃には駐車場に帰っていましたが、これ一本で十分満足のいくものだったので、その余韻をもって大山をあとにしました。
2月9日:今年、雪は本当に多いです。わかさ氷ノ山スキー場の最後のリフトも動かず、ゲレンデを登りました。さらに三ノ丸へいたる尾根で雪庇がでる場所がありますが、そこの雪の深いこと。ラッセル後とどめは猛吹雪。オークラ谷を滑るつもりでいましたが、三ノ丸であきらめ、W隊長のGPSをたよりに視界10㍍ほどのなかを引きかえしました。地図とコンパスだとこう確実にはいかないでしょう。ゲレンデにおりたあとMさんと一本だけ滑って、少し溜飲をさげたものの久しぶりの氷ノ山敗退になりました。
2月5日:東北の山は、長い間の私のあこがれ。今回とてもいいメンバーに恵まれて、この厳しい時季に熊野岳から刈田岳に縦走できたのは幸運なことでした。「ホテル蔵王」をベースに4日間、樹氷や「雪と炎の祭典」など見たいものを見、スキーに登山としたいことをし、稲花餅やからから汁、牛タン、蕎麦と食べたいものを食べ、温泉をふやけるほど巡って「蔵王に行った!」と言える気分です。今年のテントレックは幸先の良いスタートです。同行くださったみなさんありがとうございました。(フォトレポートに写真あり)
1月29日:くらますの後、若桜のTさん宅で一宿の恩義にあずかりました。翌朝、そのTさんと友人のIさんの3人で氷ノ山の西尾根へでかけました。氷ノ山へ向かう多くのパーティを尻目に三ノ丸手前から大段へ。ここの先はだれ一人出あわない別天地です。謎解きをするように地図を読みながら行くこのコースは、滑ることしかたのしめない人にはわからない魅力があります。広いバーンの滑降、迷いやすい台地、やせた薮尾根、杉林の急斜面。これらをこなして小船の村についたときは夕刻まぢか、子供のころ、遊びつかれるまで遊んだときのような満足感がありました。
1月28日:久々の雪山単独行。雪にうもれひっそりとした吉川の村はずれにある牛舎前からスキーをはいて歩きだし、東山への林道からヘンブ谷川沿いの林道へはいります。軽かった雪も気温の上昇にともなってしだいに重くなり、林道終点から尾根、さらに谷へと登るにつれ、さらに深まる雪に苦しみました。頂上へは午後1時半に到着。この一瞬だけみえた青空がなぐさめでしたが、5分もしないうちに再びガスのなか。フラットさんお勧めの切り開きをのぞく気力もうせ、みぞれにぬれながら、ひたすら雑木まじりの急斜面を滑り下りたのでした。この日、くらますはご機嫌がよろしくなかったようです。
http://www.youtube.com/watch?v=gVGMY8n5NwY&feature=related (フラットさんのくらますの動画)http://www.youtube.com/watch?v=HYjsqYLTXao
1月27日:昼前に思いたって弥高山に登ってきました。ソーメン滝への道の路肩に車をおいて、MTBで谷ぞいの道をさかのぼり、見当をつけておいた谷の枝道の入り口から歩きました。陽ざしはあわく、空気は冷たく、落ち葉はやわらかい、こんな冬の山道が大好きです。
平日の午後おそく弥高山の頂上に人などいません。だれかがおいたパイプ椅子に腰をかけて、広峰の山のむこうに思いをはせると、いつもの人の営みが見えてくるような気がします。さあ、そろそろその中へもどることにしよう。
1月21~22日:関西テレマーク講習会は100名近くの参加者がありました。講師は10名で北海道から招待の川上敦氏はプロテレマーカー、上野英孝氏、畑あやのさんはワールドカップの選手で、この講習会をずっと世話してきた坂根一弘氏は関西のテレマーカーの第一人者。参加者の多くはこのレッスンでうまくなっていき、だれとでも仲間にもなれます。今回、女房と娘も参加しましたが、私が3年かかった行程を女房は2回の講習で、娘はこの2日でマスター。若い人はみんな追い越していくので少しさみしいのですが、転びまくっておぼえる楽しみを知らないだろうとでもうそぶくほかありません。
1月15日:日名倉山のあと大茅スキー場まで行き車中泊。翌朝早くに出発して沖ノ山をめざしました。長い林道歩きの末、若杉原生林から中国自然歩道の通る尾根にでます。これで道半ば。この先はブナの林と樹氷で目をたのしませながら進み、13時前に頂上へつきました。だれもいないはずのそこには、昨冬に東山でお会いしたフラットさんたちがいました。駒帰から登ってきたそうでhttp://www.youtube.com/watch?v=xbeuPPk-y9c(ユーチューブ)をぜひご覧ください。6時間歩いた道のりも帰りは2時間。スキーの力はたいしたものです。歩くことが苦でない人に勧めたい静かでいい山です。
1月14日:志引峠を岡山県側におりたところでベルピールへの車道がわかれています。冬には雪で通行できなくなるこの道からさらに日名倉山頂上へ至る山道が派生しており、スキーでこれをたどりました。小さな祠のある山頂へは1時間少々でつき、シールをはずしてベルピールへとすべります。10メートル幅くらいの切り開きがあって女房も苦労なくついてきました。最後は国旗掲揚台のある小高い丘から、ベルピールの門の中へとすべりこみました。山の中腹に建つ大きな建造物と正午に鳴る鐘の音が、いつもの山とはちがう雰囲気をかもしだしていました。
1月12日:2月に蔵王へいくメンバーとの顔合わせをかねて氷ノ山へ。みんなワカンなので、私だけスキーというわけにはいかず、久ぶりにワカンをはきました。わかさスキー場からずっとラッセルをする気でいましたが、昨日来の雪は深くすぐに挫折。あと、全員でロテーションしながら進みました。時折ガスがきれ青空がのぞくと、陽の光が樹氷を宝石のようにきらめかせ氷の迷宮のよう。4人のBeautyの前には雪のよろいをまとった杉のMonsterも現れ、メルヘンの世界をさまようような一日でした。この雪深い中、ワカンで頂上を往復できたのはでかした仕業。いいチームになれる予感がしました。
日本の海をシーカヤックで旅するのに、
今ノトコロこれに優る入門書はないだろうと自負しています。
これから始める人も経験者も、ぜひ一度読んでみてください。
第1章はシーカヤックで海を旅するために必要なノウハウ
第2章は私のシーカヤックのフィールドと紀行になります。
途中に挿入されたエッセイもお楽しみください。
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