北海道(海・島・岬・湖・川)


利尻・礼文水道横断&礼文島1周

2014.7.13~18
2014.7.13~18
利尻水道を渡る
利尻水道を渡る

12日

 奈良・大阪・熊本の4人と合流し、今回の旅のメインである利尻・礼文の旅は利尻水道をシーカヤックで渡ることから始まった。水道の幅は約20㌔㍍、北東に流れる1~1.5ノットの潮流があるが怖いのは風と波。予報では波高1㍍、南西風4m/s 以下の好条件、行かない手はない。眼前に利尻山の鋭鋒が見えているのも心強く、稚咲内から早朝の凪の中を漕ぎだした。5時間弱かかって利尻島沼浦につけ、M氏とW氏との再会の後さらに沓形まで進んでキャンプ。利尻・礼文の旅は好調な滑り出しとなった。

 

13日

 雨の中の利尻山登山。キャンプ地の沓形から山頂を踏み、鴛泊へと下った。 

14日・15日

レンタサイクルで島1周のサイクリング。この日は晴れたが風が強く、15日も風待ちの停滞。沓形のキャンプ場は居心地がよく、ありがたかった。

16日

朝起きるとまだ8m/sほどの西風が吹いていた。風は次第に収まる方向にあったので、ゆるゆると支度して午前6時頃から漕ぎだす。磯波が立っていたので、最初それに向かって直角に進み、風浪が一定になるあたりから北西に進路を転じた。わずか10㌔㍍ほど先の礼文の島影はかすんで見えなかったのだが、その輪郭がはっきりとしてくるとパドリングも力強くなる。2時間半で礼文島南端の知床の村はずれに着けたが、この日はビールを求めて宇遠内まで漕ぎ進んだ。

17日

 礼文島は船泊に上げて終わる予定だったが、今はそこからフェリーは出ていないとのこと。図らずも香深の港まで漕がなければならなくなってしまう。私の失敗で結果として礼文島1周になってしまった。礼文島の西海岸は、荒々しい岩壁で構成されて

礼文水道へ
礼文水道へ

いてこの風景を海から見られるのはカヤックの特権と言ってもいいだろう。あいにく霧が島の上部をおおっていたが、それも神秘的で悪くない。澄海岬やスコトン岬から眺めた寒々とかすむ景色や首筋を洗っていく冷たい風の感覚、金田ノ岬のゴマアザラシの群れとの出会いは、北の海を漕いだ証のように思う。

 最後に東海岸を南下して香深の港にカヤックを上げると北海道を旅行中のNさんご夫妻が迎えてくれ、私たちの利尻・礼文の旅は終わった。

 

礼文島西海岸
礼文島西海岸

 

稚内に帰るフェリーにカヤックを積んだが、自転車並みの料金だったのには驚いた。 



天売島・焼尻島

1日目

 焼尻島・天売島は苫前の西方に位置する孤島である。羽幌からフェリーの便がある。島へは直線で20数キロ距離だから、カヤックで渡れないこともない。今回は大人数なので、勝手はできない。午後2時のフェリー「おろろん2」にカヤックを積み込んで乗る。

 焼尻の港に着き、そこカヤックを出し、白浜を目指す。ヘマなことに地図を忘れてきて、夕闇の迫るなか場所が分からず、途中の海岸で泊まることになってしまった。

 

 

羽幌港で出港を待つ「おろろん2」
羽幌港で出港を待つ「おろろん2」

 2日目

 翌早朝、出発。雲が低く立ち込めていて、視界は良くない。アザラシの頭を見ながら漕ぎ進み、東端の鷹ノ巣崎へ。武蔵水道は4キロ程だが、天売島は霧で見えない。半ば進んだ所で、ようやく島影がはっきりとしてきた。太郎兵衛崎の北側の小さな船揚場に着ける。

 小休憩の後、天売島南岸沿いに東に向かう。黒崎を回るとゴメの繁殖地 その鳴き声の凄まじいこと。一度だけ、群が一斉に舞たつことがあって、その迫力に驚く。赤岩崎では少し波立ったが、問題になるほどではない。回り込んで、海鳥繁殖地へ。ここでは、色んな海鳥の繁殖を促すためにデコイを置いたり、オロロン鳥の声を流したりしているらしい。それを知らない私は屏風岩で、きれいに整列している白い鳥たちを生きたものと勘違いして見上げていた。人間様でもだまされるのだから、同類も然り、のはず。鳥たちのサンクチュアリの守られんことを ウミネコ、セグロカモメ、オロロン鳥、ウトウ、ケイマフリを見た、と思う。鳥の識別眼のない私は「思う」としか言えない。 荒々しい北岸の岸辺を行き、ゴメ岬を回って天売港に入る。

女郎子岩
女郎子岩

フェリーの車のキャンセルが出て、最終便に乗られることになった。 天気が悪くなれば、直ぐに欠航になる航路である。こんな幸運もあるものなのだ。乗船準備を済ませてから出航までに時間があるので、レンタルバイクで島一周。さっき漕いだばかりの海は、さらに凪ぎて、青く澄んでいた。



知床半島

2006.8.13~15  2013.7.11~13
2006.8.13~15  2013.7.11~13
五湖の断崖 男の涙
五湖の断崖 男の涙
カシュニの滝
カシュニの滝
クンネポール
クンネポール

 知床はその自然の厳しさから人間の干渉をまぬがれてきた日本では数少ない地である。その荒々しい海と海岸に憧れて、2006年8月にウトロから相泊まで旅しオホーツク海側は険しく、海岸線にそそり立つクンネポールや五湖の断崖。海へと一気に落ち込むカムイワッカやに圧倒される。知床岬の番屋跡は柱だけが立ち残り、野に果てた獣の骨のように風にさらされていて、この地の営みの厳しさを偲ばせる。太平洋側では、泡立つ波に翻弄されながら向かい風にさからって漕いだ。それでも、お花畑を見にペキンの鼻へ登ったり、鮭を釣り上げチャンチャン焼きを作ったりする余裕は、力のあるメンバーのおかげである。

 

 2回目は2013年7月、逆コースをとったが、前回とはうって変わったベタ凪。「これは琵琶湖より静かだ。」などと言いながら、海岸線をなめるように漕ぎ巡り、前回は見られなかった入り江や奇岩を探った。カシュニの滝の滝の水をパドルですくえるほど岸

辺に寄って進む内に、通り抜けのできる洞窟に出会えたのも、おだやかな知床の恵みのように思える。いずれも2泊3日の航程で、海岸にキャンプしながらの旅となる。夏、グマやキタキツネ、エゾシカはあちこちにいる。食糧は臭いの出ないように梱包して食事の場所と同様に寝る所と離すのは常識。何であれゴミなど決して残してはならない。これは人と獣が互いに安全でいられるためである。 

 知床の山の中に何があるのか知りたくて、カヤックとは別に雪の残る春にテレマークスキーを駆使して半島の主脈を岬まで行ったこともある。

 

 いずれにしても知床の手つかずの自然の魅力と迫力は、カヤックや徒歩という頼りない手段で旅してこそ、より強く感じられるのではなかろうか。この地に一歩踏み入ると、わが身が小さく思えて、自然を守るなどという尊大な気にはとうていなれない。自分の痕跡を最低限に留めながら密やかに旅するだけである。 



野付半島

尾岱沼キャンプ場
尾岱沼キャンプ場

 野付半島は釣り針の形をした長い砂州である。その先端へは舟でなければ行くことができない。ベースは尾岱沼キャンプ場に置いた。有料だがカヤックが出しやすく気持ちのよい場所だ。

 10時頃から風が出る予報なので、早朝に出発した水深は浅く、アマモがパドルに絡みつく。細長いエドチ岬を左に見て漕ぎ進み、ナラワラの入口へ。ナラの立枯れ模様を見て引返す。オンネニクル湾を横切って行くと視界が広がる。右手海上に、かすかにならぶ棒杭や建物のような影が野付半島の先端なのだろう。方向感覚がおかしくなって少し迷走する。目立つ建物はネイチャーセンター それより右手のトドワラを目指さなければならない。そのトドワラの遊歩

 

道の橋下をくぐり、ポッコ沼外を行く。潮が下げに変わったのか、しばらく漕いで喜楽岬に着ける。ここを野付半島の最先端とするのかどうか知らないが、最長部には違いない。

 しばらく休んで帰路につく。潮は湾口の浅瀬を洗って、外海へと激しく流れ出している。それに逆らい、新所ノ島陰目指して漕いだが、サロマ湖程の抵抗はない。風が背を押してくれているせいかもしれない。その新所ノ島近くで漁をしている打瀬船の人が手招きしてくれた。 近寄るとシマエビをくれた。ご夫婦でエビ漁をしているらしく、しばらく何やかや話して別れた。いただいたシマエビは、カヤックの上で生で食べたが、その美味さを味わいながら漁師さんの好意が嬉しかった。野付での忘れることのない旅の思い出となるだろう。

 

喜楽岬
喜楽岬
2024.7.12
2024.7.12
ナラワラを海から
ナラワラを海から
トドワラの遊歩道を歩いてみる
トドワラの遊歩道を歩いてみる


サロマ湖(サロマ・トライアングル)

 日本3位の広さをもつサロマ湖は、一度漕いでみたい湖だった。でも、湖岸に立ってみて、その風景の単調さに気持ちが萎えた。当初予定の縦断をやめて、オホーツク海へと開かれた2つの湖口を抜けることにした。そうすれば、湖と海の両方を行くことができる。この着想がひらめいたものの、結果は散々だった。

第2湖口 橋が架かっている
第2湖口 橋が架かっている
オホーツクの海に出る
オホーツクの海に出る
帰りは干潮 浅瀬で舟を曳く
帰りは干潮 浅瀬で舟を曳く

 満潮時にキムアネップ崎を出る。浅瀬はアマモが繁茂し、パドルにからむ。ベタ凪のうちにサロマ湖を横断して第2湖口を抜ける。オホーツクの海はおだやかに我々を迎えてくれた。砂嘴の長い砂浜を左に見て、延々と漕ぐ。潮は下げ、下げ潮は北へ流れて漕行を助けてくれる。途中、定置網の設置作業を迂回して進み、やがて第1海口へ。

 ここから先、潮が仇となる。サロマ湖から流れ出てくる奔流にカヤックは進まず、いくら漕いでもその場に留まるだけで精一杯 たまらず、灯台のある対岸へと渡って上陸、一息つく。

 湖内に戻るには反流を使うしかない。目の前に橋桁のように等間隔に並ぶコンクリート塊がある。それを越えようと進んだが、タイミングが早すぎた。気がつくと本

2024.7.10
2024.7.10

流筋に入っていて、まともに漕いでは押し出される。やれ漕げ、され漕げと騒ぎながらフェリーグライドで頑張って、なんとかギリギリの線で対岸へ。さらに逆流を漕ぎ進んでやっと湖の中心部に達した。

 この間の狼狽ぶりは軌跡を見てもらえば一目瞭然 サロマ湖内には潮流はないと踏んでいたが、これは誤り。それから3時間、逆潮と向い風に悩まされながらの奮闘が続いた。トドメはゴール近くの干潟 干潮で干上がった浅瀬をカヤックを引いて戻った。  おだやかに見えるサロマ湖は、なかなかに手厳しかった。サロマ湖縦断より難しいと思うこのコースをサロマトライアングルと名付けておこう。



根室半島 野沙布岬(北海道東端)

2024.7.13
2024.7.13
珸瑤瑁漁港の突堤先にラッコが
珸瑤瑁漁港の突堤先にラッコが

 北海道東端は根室半島、納沙布岬。 わずか千数百メートル沖はソビエトとの中間線なので沖漕ぎはできない。根室は霧の町である。日中は晴れても朝夕は深い霧に包まれることが多い。霧が深くても波風が穏やかな早朝の凪どきをとるか、多少風は出ても視界のよい日中をとるかの選択を迫られる。明日の潮を思い、風予報を信じるならトーサムポロを午前5時に出て、満潮の7時頃には納沙布岬を越え、風の出る9時頃にはゴール近くに行っていたいと考えた。

 予定通りの行動となったが、岬から先はウネリが高く、岸辺は砕け波の花盛り。霧で視界の悪い中でのブーマーや波濤の砕ける轟音は恐ろしいもの。晴れて遠目がきけば、何ともない程度のウネリでも、霧が演出する物々しい雰囲気に負けそうになる。

 ヒキウス岬手前の船揚げ場に上げたあと車で納沙布岬へ回ってみた。歯舞群島こそ見えなかったが、視界は良く海はおだやかだった。目論見が外れることもままある。

トーサムポロ漁港の対岸から舟を出す
トーサムポロ漁港の対岸から舟を出す
霧の納沙布岬 灯台がかすむ
霧の納沙布岬 灯台がかすむ


尾花岬(北海道西端)と太田山神社

上浦の船揚場
上浦の船揚場

 北海道の西の端は尾花岬 断崖の果てで、ここに陸路はない。出艇は上浦漁港の東端にある船揚場を使わせてもらった。尾花岬までは順潮に追風。ウネリも後から押してくれたので、休まず一気に漕ぐ。岬先端では波に揉まれたが、岬を回ってすぐの風裏の入江に入り込むと、上陸に適した小浜があった。 そこに上げてゆっくりと休む。  沖にはウサギが跳び、帰りは逆風逆潮だと思うと尻が重くなる。でも転流は11時過ぎなので、それを待つわけにはいかない。反流を期待して、岸沿いを行くと足は遅いもののそれほどパドルは重くない。午後に登る予定の太田山神社の山腹を眺めてから、逆風の中を漕ぎ戻った。 

尾花岬の砂利浜
尾花岬の砂利浜

 太田山神社はマスコミで報道されて有名になった。その登り端の急な階段と最後の鎖場が見せ場である。標高差300㍍あまりの急登の最後は、壊れかけた端に垂直の鎖場。岩壁に穿たれた岩窟の中の社に行くにはそこを登らなければならない。用心に持っていった補助ロープが役に立った。久しぶりに半マスト結びで女房をビレイ。ここで引き返せば、昔日の修験者に嗤われそう。本殿の小さな社に着いて見下ろすと海は凪。朝の奮闘は何だったんだと思う。

 眼前の奥尻島への渡島は後の楽しみ。 西端の尾花岬と太田山神社、2つ達して満足な1日となった。 

2024.6.21
2024.6.21

太田山神社の登り始めの急な石段
太田山神社の登り始めの急な石段
最後に待っている鎖場
最後に待っている鎖場
本殿の岩窟から見下ろせば日本海
本殿の岩窟から見下ろせば日本海


白神岬(北海道南端)と青の洞窟

2024.19~20
2024.19~20
白神岬と灯台
白神岬と灯台
よく立っているものだ 来年には転がっているかも
よく立っているものだ 来年には転がっているかも
岩部の青の洞窟
岩部の青の洞窟

1日目

 白神岬の前に青の洞窟を訪ねてみた。 矢越岬を越えた所でUターンしたが、岩部と小谷石の間の海岸線には道がなく、荒々しい景観が魅力である。福島の横綱ビーチまでは沖合を漕いだ。定置網だろうか沢山の浮玉や網を避けるのに腐心した。岸沿いを戻るほうが賢い。車の回収にブロンプトン

を持ちいた。漕いできた海を眺めながらのサイクリングも楽しいものだ。

2日目

 カヤックを上げた横綱ビーチ、その駐車場は夜間閉鎖。管理人が来るのを待って、車を入れさせてもらったが出発が遅くなった。このため松前まで行くという予定は放棄して、帰りはバスにする。白神岬までに難はなかったものの、最後に逆風、逆潮につかまった。何とか漕ぎ切って下白神の船揚場に上げた。白神岬の近辺は風が吹くと白波が立つ。岬はやはり手強いと思いながら、北海道最南端の岬を回った。 



宗谷岬(北海道北端)

2024.7.8
2024.7.8
ブロンプトンで出艇場所へと走る
ブロンプトンで出艇場所へと走る

 宗谷岬は北海道の北端であると同時に日本最北端でもある。ここを起点、あるいは終点にして日本縦断(1周)の旅に出る人も多かろう。

 北の端と聞くと辺境のように思うが、観光地であり意外と人臭い。その人を避けてカヤックでここを回った。

 

宗谷岬を海から回る
宗谷岬を海から回る

 清浜第一の船揚場にカヤックを下ろしていると、土地のご婦人が様子を見に来た。エビ漁はまだなので使っていいよと言ってくれる。おかげで安心して舟を出せる。ゴール予定の泊内橋には広い駐車場があり海岸線も近い。そこに車を置いて、清浜第一まで自転車で戻る。

 9時半過ぎての出発になったが、海は11時頃から凪ぎてくるとの予報なので、これで良い。 岸辺がいやに穏やかで茶色をしていた理由は、漕ぎ出してすぐに分かった。 一つは浅い。もう一つは海藻が繁茂している。そして決定的なのは沖にリーフのような岩礁があること。その岩礁が波消しの役を果たし、海藻が小波を静めている。このリーフの外に出なければ、穏やか

 

泊内橋の浜 けっこう波がある
泊内橋の浜 けっこう波がある

である。しかし難点は浅すぎて船底を擦ること。珊瑚礁のリーフとは違う。こんな地形に出会うのは初めて。

 弁天島を間近に見てから宗谷岬へ。観光客の目にふれない小さな砂浜に上げて休憩 。モニュメントの立つ日本最北端の宗谷岬を回る。宗谷岬漁港の口を横切って進む。しばらく岸沿いを進んだが、船底を擦る浅瀬に辟易して、沖に漕ぎ出し竜神島沖を行く。島に近づくと海鵜がいっせいに飛び立った。

 ゴールの泊内橋の浜にはうねりが押し寄せて磯波が立っていた。波にかぶられないようにタイミングを計り、上手く上陸した。我ながら天晴。

 霧雨の降る宗谷の岬は思いの外おだやかだった。



積丹半島(珊内~美国)

2014.7.9 2018.8.3~4
2014.7.9 2018.8.3~4

 2014年の夏、新日本海フェリーの船旅で小樽に着き、美国町の小泊で車中泊した。翌早朝、目の前の海水浴場から漕ぎだし、西に向かって積丹岬、神威岬を経て珊内までの予定だったが、最後に強い向かい風と風浪にはばまれて珊内直前の窓岩までとなった。そびえたつ岩壁に「女郎子岩」などの岩塔、岸辺を彩る緑と花々。ときおり差しこんでくる太陽の光に映える積丹ブルーの海の色はここだけのものだろう。

島武意のゴロ石の浜に上げる
島武意のゴロ石の浜に上げる

窓島をあとに
窓島をあとに

 2018年のメンバーは7人の大所帯。4年前には東から西に回ったが、今回は逆である。風や海流を味方にしたかったなら、このほうがよいと思う。珊内から美国まで、50数キロを2日で行くので楽な航程。回送の車など、すべて整えてから泊村の盃キャンプ場に泊まる。入口に温泉もある上、無料なのはうれしい。

 日目

 珊内まで移動して朝凪の内に漕ぎ進む。前回の終了地点のノットの舟揚げ場で休憩してから窓岩へ。柱状節理の岩島でその一部が抜け落ちて、窓のように貫通していた。陸からは見えず、前回気づかなかったが、これで納得できた。

 シシャモナイの滝、これまた海を行く者だけが見られる景観である。さらに進んで西の河原に上げた。「にし」の河原と思っていたが、どうやら「さい」の河原と呼ぶらしい。それにふさわしい雰囲気ではある。

 次の目的地、神威岬を目指す。風は予想通りの追風で舟はよく走るもののウサギが跳ぶほどになった。いったん岬の袂の港に上げて休憩。気合いを入れ直して毛羽立つ海へ。 

シシャモナイ滝
シシャモナイ滝

 岬の突端は荒れるのだが、神威岩との間が通らたのは幸運だった。バシャバシャの波を漕ぎ抜け、風裏に入ると嘘のように穏やか。断崖下のゴロ石の浜に上げて休む。

 神威岬の遊歩道までの踏み跡は、草におおわれて消えている。そこを登り、遊歩道に出ると立入禁止の看板。どうやらいけないことをしてしまったみたいだ。

 岬の灯台は、イベントで開放されていて、中に入ることができた。海上保安庁の人がいて、「ずっと見えてたよ、風速は20m/Sほどだったけど、よく来たな」みたいなことを言ってくれた。灯台は螺旋階段と照明設備だけのシンプルな構造だが、光は36キロ先まで届くとのこと。新日本海フェリーで小樽へ近づくとき、この光を見たことを思い出す。

 この日は予定通り野塚の浜に上げ、野営場にキャンプした。多くのテントが張られていたが、ここも無料で、トイレ、炊事場もある。

日目

 夜中じゅう波の音がしていた。未明に起きてみると磯波が立っている。女房と2人だけだったら、多分やめにし

野塚の浜でキャンプ
野塚の浜でキャンプ

 ていただろうが、みんな行く気満々である。巻いて押し寄せる波の狭間をねらって漕ぎ出した。沖は穏やかである。磯波は風ではなくウネリのなせる業なのだ。

 しかし、これだけウネると着岸できる場所も限られる。そう思いながら積丹岬へ。岬辺りでは案の定、波にもまれた。こんなときは各自がそれぞれに身を守ることになる。言わば親不知、子不知の状態だが、仲間がいるのは心強い。

 このウネリの中でも島武意の浜に上げられたのはありがたかった。おまけに、北海道旅行中のNさん一家にも会えた。運のいい日というのはあるものなのだ。

 次は幌武意の港で少し休んだ。あとは右手の断崖を眺めながら漕ぐ。黄金岬と宝島が見えてはいたが、思いの外時間がかかった。海水浴客でにぎやかな美国の浜に着いたのは正午過ぎ。

 車回収組と後片付け組に分かれて終いをする、時間がかかったが、一切を終えて、厚真にあるMさんの「ふくろうの宿」へ。Nさん一家も合流してバーベキュー宴会で打ち上げた。

 



オタモイ海岸(美国~小樽)

2024.6.26~27
2024.6.26~27

 美国から小樽までの海岸線も魅力的である。途中に余市湾の横断が含まれるが、それを渡った先には「青の洞窟」からオタモイ岬の荒々しい海食崖が待つ。積丹からつなぐ意味で、ここを2日かけて漕いだ。

 

1日目

 雨なので、仕度をグズグズとやって10時頃に出発漕ぎ出してすぐの厚苫岬は沿岸に白いものが多い。 できるだけ小さく回ったが、この頃から波が高くなってきた。 丸山岬からは、追風の追波 助けにはなるが、気持は良くない。 古平沖を一直線に漕ぐ頃には、兎が周りで跳び跳ねだした。 面白くないので、上げられる場所を探して行き、沖町に着けた。 ここで夕凪を待つ。 その間に美国に置いた車を回収するためバスに乗る。 風が収まらなければ、ここで終わってもいいと考えた。 午後4時頃に波は幾分収まったので、先に進むことにする。 蝋燭岩を間近に見て、ワッカケ岬から白岩の。浜へ。 村から見えない側の浜に上げて、テントを張った。 ここは素敵な場所で、いい夜を過ごせた。 

滝の澗の岬沖に屹立する蝋燭岩 
滝の澗の岬沖に屹立する蝋燭岩 

2日目  

 早朝に漕ぎ出した。 烏帽子岬を回ってオトドマリ岬、シリバ岬の沖を漕ぐ。 数日前に登った尻場山は300メートル近い岩壁を海へと落とし込んで、凄まじい。 余市湾を横切ってから竜ケ岬を回り込んだ入江に着ける。 さらに塩谷湾を進んで桃岩、その先の笠岩東のゴロ石の浜で休憩。 この先のオタモイ海岸が見所である。 立岩と岬の間を抜け、遠くからでもよく分かる洞門を持つ窓岩へ。 水は通じているが浅く、ここはカヤックを下りて引かなければならなかった。 ここを回り込んだ先が青の洞窟。 次の赤龍の洞窟を見逃したのは残念だったが、オタモイ岬、下赤岩山の赤茶けた岩壁と景観を楽しめながら漕ぐことができた。小樽から来る観光船と何隻もすれ違う。トド岩を左に見、高島岬を回り、祝津の青塚食堂前の浜に上げて2日間の海旅を終える。

窓岩 カヤックは下りて引く
窓岩 カヤックは下りて引く
白岩の浜 いい泊り場だ
白岩の浜 いい泊り場だ


愛冠岬

2024.6.29
2024.6.29

 安瀬橋から濃昼を経て愛冠岬を回る。これをきちんと読める人は、土地の人以外まずいないだろう。「やそすけばし」「ごきびる」「あいかっぷ」となる。 

 当初、濃昼のキャンプ場から出る計画だったが、オープン前なのか、柵があって入られなかった。 仕方なく安瀬橋へ回った。車回送のためのオンデマンドバスに問い合わせると、午後からは川下から厚田へ行くバスはないとのこと。カヤックを海岸線に運び、漕ぎ出す直前だつたが、ここで今日の出艇を諦めた。こんな日もある。気分を変えて浜益温泉でサッパリし、川下海浜キャンプ場でテントを張って昼間から飲む。

 このキャンプ場はトイレ、炊事場も設備され無料で広々として気持がよかった。

 翌早朝、毘沙別海岸に自転車を置いてから、昨日の安瀬橋へ。北海道に来てから最も穏やかな海だった。海岸線をつぶさに見て回り、濃昼や送毛の港にも立ち寄った。 愛冠岬は静かで、タラマの岩壁は柱状節理の見本のようだった。

 ゴールの毘沙別の浜に上げよ

送毛の浜で休憩
送毛の浜で休憩
愛冠岬
愛冠岬

うとしたとき、磯波にガブられカヤックを返されて、ずぶ濡れになってしまった。サーファーが沢山いた昨日よりずいぶん穏やかな海だつたので油断したのが悪かった。

 カヤックを引き上げてから車の回収へ。「あんた行っといで私待っといたげるから」 とい

タマラにある柱状節理の岩壁
タマラにある柱状節理の岩壁
毘砂別の浜
毘砂別の浜

 う優しい女房の声に励まされて、オロロンラインを自転車で車回収に戻る。約3キロの登り坂の後、寒くて長くいトンネルを轟音を響かせて行き交う自動車に怯えながらペダルを踏む。濃昼山道や増毛山道の昔を思えば、こんなこと何でもないに違いない。



天塩川河口まで150㎞の旅

2020.821~23  2024.7.3
2020.821~23  2024.7.3
足寄の橋の下で
足寄の橋の下で
静水に見えるが流れは速い
静水に見えるが流れは速い

 天塩川は北海道の名河川である。名寄から河口までの150㎞をシーカヤックで下った。その間に堰堤は一つもない。もっと上流域からとも考えたが、堰堤も多く、舟も変えなければならないだろう。

  8月20日の夕方には翌日の宿泊予定地「びふか温泉」まで回送用の車をまわし、食糧等を買い込んで出発準備を整えた。

1日目

 早朝より漕ぎ出す。川の流れは速く、川幅いっぱいに流れていて滔々という形容がふさわしい。早瀬やテッシが諸所に現れるが、これが単調さを破ってくれて楽しい。テッシの岩が現れることもなく、かといって荒瀬になるほどでもなく、程よい水量だったのだろう。流れが手伝ってくれて正午を待たず、びふか温泉に着いてしまった。いったん上陸して車を回送し、さら20㎞下流の「天塩川温泉」まで下ることにした。午後も快調に下り、温泉に入ってから河畔でキャンプ。50㎞ほど漕いだことになる。

2日目

 未明に起き、車をゴールの天塩まで回しておいてから出発。尺取虫方式より最初からこうしておくほうが、よほど効率がよかったように思う。瀬はめっきり少なくなるが、流速はあまり変わらないようだ、瀞場のように見えても、休憩で河岸に上がるとその速さが目に見える。松浦武四郎が北海道と命名した記念の地で大休止。対岸を宗谷本線の1両列車が走る。この日は歌内橋上手左岸の気持ちの良い河原に上げてキャンプした。今日も50㎞漕いだ。

3日目

 早朝、出発。流れはしだいに緩くなり、天塩大橋あたりでほぼ止まる。前方に利尻の鋭鋒が見えるのを喜んだ間もなく、大橋

橋が里程標
橋が里程標

手前3㎞ あたりから強い向かい風が吹きだした。橋の右岸に着け休憩をとる。行くかやめるか少し迷ったが、残りわずか18㎞である。「行こうや」というⅯさんの一言で、逆風の中を漕ぎ出す、川幅が広く遮るものがないせいか、うねりまで起きている。「海と変わらんじゃん」と悪態をついても耐えて漕ぐしかない。オトンルイ発電所の風車が近づかず、遠ざからず、わずかな距離に悪戦苦闘した。山も海も川も、なかなかただでは帰してくれないものだ。右手に砂丘が現れる。天塩の流れが運んできた膨大な量の土砂が造った砂嘴に違いない。川底も浅く、パドルブレードが砂を噛む。この辺りまで接岸できる場所ははほとんどなかった。最後の天塩河口大橋を凱旋門のようにくぐると、河口公園のカヌーポートまで3㎞、風に耐えて漕ぎぬいた。 

 北海道開発局の天塩川地図が参考になる。https://www.hkd.mlit.go.jp/as/tisui/vkvvn800000018jy.html

 

【2024年に足寄から美国まで10人で下ったが水量が少なく、天塩川の印象が違ったものになった。自然はその時々の姿をみせてくれるもののようだ。】



釧路川

2013.7.15
2013.7.15

 釧路川はその水源である屈斜路湖から下るにはシーカヤックは無用の長物で、もっと小回りの利くリバーカヤックのほうがふさわしい。カヤック通行禁止の箇所もあるそうだから、いずれにしろすっきりとはいかないようだ。

 そういうわけで、我々は塘路湖の元村キャンプ場から細岡のカヌーポートまで、ガイドツァーのコースを下ることにした。湿原の中を蛇行する釧路川のゆったりとした流れに舟をまかせ、鳥の鳴き声を聞きながら下るのはなんとも気持ちのよいものだった。最後は釧路本線に乗って帰りたかったが、効率を優先させて、回収用の車を手配しておいたのは、少し残念な気もする。

釧路川を行く
釧路川を行く
塘路湖を出て
塘路湖を出て


朱鞠内湖Camp&Kayak

2020.8.24
2020.8.24

 天塩川の旅を終えて、私たち夫婦はゆっくりとキャンプをしようと朱鞠内湖に立ち寄った。朱鞠内湖は昭和18年に雨滝川を堰き止めて造られた。完成当時は日本一広い人造湖だったそうで、戦時下の過酷な労働で生まれた湖面は、自然と静謐に今は満たされている。

 湖をカヤックで1周するつもりだったが、目の先の藤原島と陸地を結ぶ線より先は立ち入り禁止だと管理人から知らされる。「そこまででも2㎞もあるし、南風が吹いたら戻れなくなる。過去にもカヌーがひっくり返って死んだ人もいる」とのこ

と。天塩川を150㎞、秒速10数mの逆風を漕いできた我々でも、聞くだに恐ろしい話だから、従うしかない。「チェックアウトは午後3時、昼過ぎには湖畔のいいサイトが空くよ」というアドバイスを胸に、テントサイトを回ってみる。みんな車横付けでテントを張っている。湖畔近くで昼食をしていると下のテントが撤収をはじめ「ここ、いいですよ」と声をかけてくれた。ありがたく、後を使わせてもらう。

 午後からカヤックを下ろし、許可範囲内を漕いで回った。盆栽島と陸地の間は地形図では湖水になっていたが、現状は陸つづきで通り抜けできない。隣の兎島もつながっていたから、年月を経て土砂が堆積したのだろう。風はなく、鏡のような水面に岸辺の木立が映る。その中に立つ舎利幹をさらす枯れ木が孤老を思い起こさせ、いつまでこんな旅がしていられるのだろうかと感傷を誘う。

 夕食を終え焚火の小枝に火をつけた。ほろ酔い眼に炎が揺れ、朱鞠内湖の夜は静かに更けていく。晴れやかな日の下の立ち枯れより、闇の中で燃え尽きる火のような死のほうがよいか、ふとそんなことを思った。

朱鞠内湖
朱鞠内湖
湖面に残る孤木
湖面に残る孤木
湖畔のキャンプ
湖畔のキャンプ

 2023年5月に湖畔で釣りをしていた男性がヒグマに襲われて死亡している。熊はその後、駆除された。男性の不運で早すぎる死を悼む。)



屈斜路湖

和琴湖畔キャンプ場から漕ぎ出す
和琴湖畔キャンプ場から漕ぎ出す
砂湯の湖岸に上げてくつろぐ
砂湯の湖岸に上げてくつろぐ

 屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖で周囲は57㎞もある。その湖岸にはいくつかの温泉が湧き出でており、それをシーカヤックで回ってみた。

和琴共同浴場、池の湯、砂湯と訪ね、最後にコタンの湯に入った。あまり手入れされてなかったり、閉鎖されたような雰囲気もあったが無料なのはうれしい。波も風もなく、湖の漕行は何の不安もない。本当は中島に上がって、山に登ってみたかったのだが、上陸が禁止されていてはそれはできない話である。残念 



洞爺湖

2018.8.6
2018.8.6
洞爺湖を漕ぐ
洞爺湖を漕ぐ
船着き場の脇に上げる
船着き場の脇に上げる

 春に山スキーに来て、ウィンザーホテルから洞爺湖の中島を眺めた時、カヤックで島に渡り、山に登ることを思いついた。調べてみると観光船も出ており遊歩道も整備され、最高峰がトーノシケヌプリ(西山)とのこと。

 洞爺キャンプ場に泊まり、翌6日早朝に漕ぎ出す。曇天無風の好条件のもと、左手に昭和新山、有珠山を見ながら快調にカヤックを走らせる。島に近づくと岸辺にはエゾシカが跳ねる。中島に着き、観光船の船着き場の手前の浜に上げたもののまだ誰もいない。始発

便の到着を待ち、入山名簿に記入して、ゲートを開けてもらう。早く出てきたものの、結局は8時半近くの入山になってしまった。

 遊歩道はよく整備されていて、木くずの道のクッションが心地よい。峠様のところから左にとり不明瞭な踏み跡をたどる。なかなかの急登で、ピンクのテープやロープがあるものの、廃道に近い状態であった。最後に道を見失って、わずか薮を漕いだ後にトーノシケヌプリの頂上へ出た。ブッシュにさえぎられて、頂上からの展望はあまりよくない。3等三角点がある。 

 遊歩道までもどったのち、さらに北へ進んで大平原と名づけられた開けた場所に出た。小さな島の大平原とは洒落がきいている。ここで小憩してから、島の東岸を周回する道を歩く。湖岸の道は緑濃く、洞爺湖の水面の輝きを垣間見ながら行くのは心地よかった。

 帰路は西岸を回った。やりたいことをみんなやって、思い残すことなく島を後にした。